アメリカの政府関係機関で外国語訓練を行っている機関同士が意見交換等を行う組織があります。
http://www.govtilr.org/
構成機関には、このブログでも何回か言及した国務省外交官研修所(Foreign Service Institute, FSI)や国防総省の研究所、平和部隊(Peace Corps)などがあります。
これらの機関は実際に外国語を使って仕事(mission)を遂行するために職員等の研修を実施しています。目的がはっきりしているだけ、中途半端なことは許されません。また、研修も長い時間をかけるわけにはいかないので、最も効率的な方法を常に研究しています。
コンファレンスなどで発表された論文などもあり、外国語訓練に興味がある方には面白いものもあります。
私が読んでなるほどと思ったものに次の論文があります。FSIの方が書いたものです。
http://www.govtilr.org/Publications/TESOL03ReadingFull.htm
ドラフトなので許可なく引用不可となっていますので、詳細な引用は避けますが、大人の学習者が外国語を学ぶ際の重要な論点が述べられています。私は専門家ではないので、書かれていることすべてが正しいか判断する能力はありませんが、自分の経験と照らしてみてもなるほどと思いますし、半世紀以上の実践の積み重ねから得られたものであるので、間違っている可能性はきわめて少ないと思います。
この論文で感心した点は次のようなものです。
1. language proficiency(外国語能力と訳しておきます)を"the ability to use language as a tool to get things done"(物事を処理する道具として言葉を使用する能力)と定義しています。これは妥当ですし、特に大人が外国語を学習する場合は頭に置いておく必要があります。つまり「何のために外国語を学ぶのか」をはっきりしておく必要があるのです。
2. 成熟した大人の学習者は集中的な学習で、ネイティブスピーカーとほぼ同様にプロとしての仕事をできる程度まで上達できるようになる(Lesson 1)、としています。つまり、1.で定義した外国語能力は大人の学習者でも十分達成できるのです。また、ネイティブ・スピーカーの話し方(native accent)を達成することは、たいていの場合、外国語能力の指標とはならない(言っていることが理解できるものかどうかはもちろん重要だが)としています。
3. 学習にかけた時間と集中度は効率的な学習のために必須であるようです(Lesson 4)。外国語学習は短期間ではできません。また、焦点を絞った練習(drill)も必要です。
4. 外国語を読んだり話したりする際、自動的であること(automaticity)が重要である(Lesson 7)としています。この訓練の一つに「パターン・プラクティス」があり、多くの学習者が必要と考えています。また、読解も少し易しめのものを数多くこなすことが必要としています。
その他にも、外国語学習に重要な論点が多く述べられています。一度ご覧になることをおすすめします。長年の経験に裏打ちされた実践的知識の塊で、外国語を学ぶ際の心構えとしても大変役にたつものだと思います。
2009年07月05日
2009年04月29日
InterContinental Hotels & Resorts
世界的なホテルチェーンのInterContinental Hotels & Resortsのサイトです。
http://www.ichotelsgroup.com/intercontinental/en/gb/home?clearQuickRes=true
こんな高級ホテルに泊まることはほとんどないので、このサイトで予約したりすることはないのですが、では何故ここで取り上げているのでしょう。
このサイトには各地のホテルのコンシエルジュが地元の案内をするビデオがあります。コンシエルジュの仕事は、客の要求に応じて食事やエンタテインメントの相談にのり、必要に応じて予約をしたりすることです。ですから地元の知識を持つローカルのスタッフがなることが原則です。
一方でホテルの客は世界中から来ていて、現地の言葉を必ずしも知らない場合もあります。ですから客とコンシエルジュは国際的に通用する言葉でコミュニケーションをとります。多くの場合、英語ということになるでしょう。
このビデオではコンシエルジュが英語で話しています。多くの場合、母語の影響が分かります。訛りと言って良いでしょう。それでも問題はありません。伝えなければならないことが伝わらないというコミュニケーション上の問題になることは少ないからです(そうでなかったらコンシエルジュの仕事はつとまらない)。
日本人が英語を話す場合、相手がネイティブスピーカー以外ということも結構あります(もちろん人により違いはあります)。この場合、相手の訛りの傾向を知っていると役に立ちます。もちろん、母語が同じであっても、相手の英語のレベルや話す内容により違いは出てくるのは当然ですが、どんな風に英語が変化して聞こえるかをあらかじめ知っているとずいぶん気は楽になります。
これから話す相手の母語が分かっているなら、このビデオを見て聞いておくのは良い予習になると思います。まあ、そんなにかたく考えなくても、観光案内としても良くできているので見ていて飽きませんから。
(ビデオの見方)
1. トップページにある"locations"のタブをクリック
2. ホテルの場所が出てくるので希望の場所をクリック
3. "Concierge video tour"が出てくるので"full video"をクリック
http://www.ichotelsgroup.com/intercontinental/en/gb/home?clearQuickRes=true
こんな高級ホテルに泊まることはほとんどないので、このサイトで予約したりすることはないのですが、では何故ここで取り上げているのでしょう。
このサイトには各地のホテルのコンシエルジュが地元の案内をするビデオがあります。コンシエルジュの仕事は、客の要求に応じて食事やエンタテインメントの相談にのり、必要に応じて予約をしたりすることです。ですから地元の知識を持つローカルのスタッフがなることが原則です。
一方でホテルの客は世界中から来ていて、現地の言葉を必ずしも知らない場合もあります。ですから客とコンシエルジュは国際的に通用する言葉でコミュニケーションをとります。多くの場合、英語ということになるでしょう。
このビデオではコンシエルジュが英語で話しています。多くの場合、母語の影響が分かります。訛りと言って良いでしょう。それでも問題はありません。伝えなければならないことが伝わらないというコミュニケーション上の問題になることは少ないからです(そうでなかったらコンシエルジュの仕事はつとまらない)。
日本人が英語を話す場合、相手がネイティブスピーカー以外ということも結構あります(もちろん人により違いはあります)。この場合、相手の訛りの傾向を知っていると役に立ちます。もちろん、母語が同じであっても、相手の英語のレベルや話す内容により違いは出てくるのは当然ですが、どんな風に英語が変化して聞こえるかをあらかじめ知っているとずいぶん気は楽になります。
これから話す相手の母語が分かっているなら、このビデオを見て聞いておくのは良い予習になると思います。まあ、そんなにかたく考えなくても、観光案内としても良くできているので見ていて飽きませんから。
(ビデオの見方)
1. トップページにある"locations"のタブをクリック
2. ホテルの場所が出てくるので希望の場所をクリック
3. "Concierge video tour"が出てくるので"full video"をクリック
2009年03月07日
Paul Harvey
アメリカの伝説的ラジオコメンテーターのポール・ハービーが90歳(!)でなくなりました。
http://www.abcrn.com/harvey/
彼のNews and commentとThe rest of the storyという番組はアメリカではABC系列で放送されていました。日本では在日米軍関係者向けのAFNで聞くことができます。
私がポール・ハービーの番組を聞くようになったのは実は最近です。朝、子供を車で送っていくときにラジオをつけると聞こえてくる特徴的な話し方、よく響く声に興味を持ち、調べてみるとアメリカではほとんど伝説になっている人だと知りました。
内容的には保守系ですが、そんな単純な色分けより、彼の番組にはアメリカの伝統的価値の尊重というのが根底にあったような気がします。
彼の死に対してはブッシュ前大統領をはじめ、さまざまな有名人がコメントをしています。また、アメリカのマスコミでも大きく取り上げられています。ただ、日本ではほとんど知られていないので、新聞などの訃報欄でも見かけませんでした。そういう意味では本当の意味でのAmerican institutionなのかもしれません。アメリカの有名人でもグローバルに知られていないと成り立っていかないというのが今の時代だとすると、ポール・ハービーは古き良き時代のアメリカの象徴なのかもしれません。
ゆったりとアメリカの雰囲気に浸りたいときには彼の声を聞くことをおすすめします。それにしても、死のほんの少し前(私の記憶に間違いがなければ一週間程度前)まで現役でいたというのは大変なことですね。
(追記)ポール・ハービーのことを書いてあるブログを見つけました。
http://www.afnfan.net/archives/2009/03/paul_harvey-passes-away.html#more
というのは私も同感です。
http://www.abcrn.com/harvey/
彼のNews and commentとThe rest of the storyという番組はアメリカではABC系列で放送されていました。日本では在日米軍関係者向けのAFNで聞くことができます。
私がポール・ハービーの番組を聞くようになったのは実は最近です。朝、子供を車で送っていくときにラジオをつけると聞こえてくる特徴的な話し方、よく響く声に興味を持ち、調べてみるとアメリカではほとんど伝説になっている人だと知りました。
内容的には保守系ですが、そんな単純な色分けより、彼の番組にはアメリカの伝統的価値の尊重というのが根底にあったような気がします。
彼の死に対してはブッシュ前大統領をはじめ、さまざまな有名人がコメントをしています。また、アメリカのマスコミでも大きく取り上げられています。ただ、日本ではほとんど知られていないので、新聞などの訃報欄でも見かけませんでした。そういう意味では本当の意味でのAmerican institutionなのかもしれません。アメリカの有名人でもグローバルに知られていないと成り立っていかないというのが今の時代だとすると、ポール・ハービーは古き良き時代のアメリカの象徴なのかもしれません。
ゆったりとアメリカの雰囲気に浸りたいときには彼の声を聞くことをおすすめします。それにしても、死のほんの少し前(私の記憶に間違いがなければ一週間程度前)まで現役でいたというのは大変なことですね。
(追記)ポール・ハービーのことを書いてあるブログを見つけました。
http://www.afnfan.net/archives/2009/03/paul_harvey-passes-away.html#more
もちろん、ポール・ハーヴィー氏に会ったことなんて無いんだが、毎日のようにあの親しみ深い声と特徴のある声を聞いていたら、やっぱり情が湧くというか、なんというか、全くの他人には思えないワケですな。
というのは私も同感です。
タグ:Paul Harvey AFN
2009年01月06日
出藍の誉れ
外国語を学ぶということ(というより物事を学習するということ全般)は、当然のことですが、最終的な責任は学習者にあります。物事の判断が十分にできない子供なら別ですが、例えば日本で英語を学習し始める中学生なら、もう自分の学習に責任を持たせて良いはずです。
もちろん、学習の過程で道筋をつけてくれるのが教師やコーチで、そのガイダンスの質の良否は学習の効率に影響を及ぼします。ある分野でそれなりのレベルに達した人がそれまでの学習の課程を振り返っている場合、多くの場合、良質のガイダンスを得たことを誇らしさ半分、うれしさ半分に書いてあります。これは何も学習者が自慢をしているわけではありません。こうした質の良いガイダンスを得ることがいかに大事であるかということを、経験を引き合いに述べているのです。
残念ながらこのような経験をされなかった人でも「われ以外みな師」という言葉を考えれば、誰からも学ぶことはあるもので、それができないのは自立した学習ができない人間なのでしょう。
教師やコーチの側から見ると、一番大事なことは「弟子が自分を超える」ことです。「出藍の誉れ」というのは弟子の側から見た言葉なのではなく師匠から見るもので、逆説的に言えば、自分を超える弟子を生み出せなかったら師匠としては失敗なのです。すなわち、自分の属する分野で自分を超える弟子が出なかったら、師匠としてはその分野の発展への貢献はゼロ以下なのです。
学問における師弟関係とはこのように考えるべきでしょう。それをあたかも弟子が追いつけないように師匠がしていると考える(これまでにそのような師弟関係しか持てなかったとすれば気の毒なことですが)なら、180度間違っています。そうした考え方をしている人間は自立した学習者とはなり得ず、ましてや師匠としては一番不適なのです。
もちろん、学習の過程で道筋をつけてくれるのが教師やコーチで、そのガイダンスの質の良否は学習の効率に影響を及ぼします。ある分野でそれなりのレベルに達した人がそれまでの学習の課程を振り返っている場合、多くの場合、良質のガイダンスを得たことを誇らしさ半分、うれしさ半分に書いてあります。これは何も学習者が自慢をしているわけではありません。こうした質の良いガイダンスを得ることがいかに大事であるかということを、経験を引き合いに述べているのです。
残念ながらこのような経験をされなかった人でも「われ以外みな師」という言葉を考えれば、誰からも学ぶことはあるもので、それができないのは自立した学習ができない人間なのでしょう。
教師やコーチの側から見ると、一番大事なことは「弟子が自分を超える」ことです。「出藍の誉れ」というのは弟子の側から見た言葉なのではなく師匠から見るもので、逆説的に言えば、自分を超える弟子を生み出せなかったら師匠としては失敗なのです。すなわち、自分の属する分野で自分を超える弟子が出なかったら、師匠としてはその分野の発展への貢献はゼロ以下なのです。
学問における師弟関係とはこのように考えるべきでしょう。それをあたかも弟子が追いつけないように師匠がしていると考える(これまでにそのような師弟関係しか持てなかったとすれば気の毒なことですが)なら、180度間違っています。そうした考え方をしている人間は自立した学習者とはなり得ず、ましてや師匠としては一番不適なのです。
2008年12月23日
プロの仕事(2)
前回の記事に引き続き、プロの仕事とはどのようなものかです。
5.プロは自分の限界を知っている
プロは自分のやっていることが分かっていますので、滅多なことではその限界を超えることをしません。自分の「理論」や「メソッド」に溺れて、何でもそれで解釈、解決できると思うことほどプロとして恥ずかしいことはないからです。
「目利き」としての能力、そしてそれに対する「評判」を危険にさらすような行為はプロはやりません。
6.プロはサポーサーを選ぶ
人間誰しもほめられればうれしいものです。豚もおだてりゃ木に登るって言います。ほめてくれれば、どんな人だってうれしいし、それが社会的に影響力がある人によるものだったら喉から手が出るほど欲しいと思うのも当然でしょう。
しかし、プロはほめ言葉をもらうことに慎重です。前回書いた通り、プロの仕事の評価は仲間のプロによるものが最も大事だからです。的外れな称賛は的外れな批判よりたちが悪く怖いのです。
反対側から見れば、よく知らない分野のことで、知ったかぶりで安易にほめ言葉を使う人間はプロではありません。間違っているかもしれないことに安易に加担するという意味で、デタラメを言っている人間より罪が重いとさえ言えるのです。
7.プロは批判を大事にする
これも前回書いた通り、プロにとって最も恐れることは「相手にされない」ことです。論理が通じない人間だと見なされることはプロの社会では存在しないと同じです。これに比べれば批判されることは少なくとも相手にされているのでプロはこれを大事にします。
批判されることは誰でもいい気持ちはしません。しかし、批判を受けたときの対応こそプロとしての力を試されているので、プロの仲間はそれを見ています。批判されること自体がプロの間で問題になることは滅多にありません。
批判に対して子供のように逆切れしたり、果ては何とかして批判そのものやその痕跡を消し去ろうとすることはそれだけでプロとしての人格を否定する行為になります。
もちろん、まったく的外れな批判に対しては無視することもあります。当然のことですが、プロの間では批判の正否も判断されているのです。
8.プロは最低限の仁義は維持する
プロはどんなに厳しい状況でも、最低限の仁義は維持します。どんなことかといえば、「他人の言っていることを間違えずに引用する」とか「相手の質問に誠実に答える」とか「普通に使われている言葉の意味を勝手に自分で変えない」とか言ったことです。
こうしたことができない人間は、まさしく論理が通じないと見なされるのでプロの世界からは相手にされなくなります。それどころか、普通の社会でも相手にされなくなることでしょう。
5.プロは自分の限界を知っている
プロは自分のやっていることが分かっていますので、滅多なことではその限界を超えることをしません。自分の「理論」や「メソッド」に溺れて、何でもそれで解釈、解決できると思うことほどプロとして恥ずかしいことはないからです。
「目利き」としての能力、そしてそれに対する「評判」を危険にさらすような行為はプロはやりません。
6.プロはサポーサーを選ぶ
人間誰しもほめられればうれしいものです。豚もおだてりゃ木に登るって言います。ほめてくれれば、どんな人だってうれしいし、それが社会的に影響力がある人によるものだったら喉から手が出るほど欲しいと思うのも当然でしょう。
しかし、プロはほめ言葉をもらうことに慎重です。前回書いた通り、プロの仕事の評価は仲間のプロによるものが最も大事だからです。的外れな称賛は的外れな批判よりたちが悪く怖いのです。
反対側から見れば、よく知らない分野のことで、知ったかぶりで安易にほめ言葉を使う人間はプロではありません。間違っているかもしれないことに安易に加担するという意味で、デタラメを言っている人間より罪が重いとさえ言えるのです。
7.プロは批判を大事にする
これも前回書いた通り、プロにとって最も恐れることは「相手にされない」ことです。論理が通じない人間だと見なされることはプロの社会では存在しないと同じです。これに比べれば批判されることは少なくとも相手にされているのでプロはこれを大事にします。
批判されることは誰でもいい気持ちはしません。しかし、批判を受けたときの対応こそプロとしての力を試されているので、プロの仲間はそれを見ています。批判されること自体がプロの間で問題になることは滅多にありません。
批判に対して子供のように逆切れしたり、果ては何とかして批判そのものやその痕跡を消し去ろうとすることはそれだけでプロとしての人格を否定する行為になります。
もちろん、まったく的外れな批判に対しては無視することもあります。当然のことですが、プロの間では批判の正否も判断されているのです。
8.プロは最低限の仁義は維持する
プロはどんなに厳しい状況でも、最低限の仁義は維持します。どんなことかといえば、「他人の言っていることを間違えずに引用する」とか「相手の質問に誠実に答える」とか「普通に使われている言葉の意味を勝手に自分で変えない」とか言ったことです。
こうしたことができない人間は、まさしく論理が通じないと見なされるのでプロの世界からは相手にされなくなります。それどころか、普通の社会でも相手にされなくなることでしょう。
2008年12月10日
プロの仕事
どんな仕事でもプロがいます。プロとそうでないものの違いは、端的に言えば「金をとれるか」ということでしょう。かなり前にこのブログで、「外国語学習の最大のライバルはお金だ」と書きました。これはまさにプロの仕事について書いたものです。
プロの仕事とはどのようなものでしょう。私が思うに次のような特徴を持っています。
1. プロの仕事は命や金がかかっている時に必要
にせ医者に大事な手術をさせないのは当然ですし、間違って刑務所に入れられないようにするためにはちゃんとした弁護士が必要です。どうでも良いことなら、誰だってできます。
2. プロは間違ったことを言わない
やるべきことができればどんなことを言っても良いとはプロは考えません。やっていることだけでなく、言うことの正しさでも評価されるからです。
「フグの毒があるのは肝臓だけで、それだけとれば大丈夫」と言うフグ調理師を信用できますか。たとえこれまで大丈夫だったとしても、こんなことを言っているということだけでクビでしょう。
あるいは「ニュートンの運動方程式はf=maではなくてf=m/aだ」と言うエンジニアが設計した飛行機に乗る気がしますか。こうした間違いを平気で言ってしまうような人間はプロとは言えません。
3. プロの仕事の評価はプロがする
一般的に、評価というものは、対象に関する知識がある場合の方が辛くなります。だから、特定の分野での仕事のレベルを保つための方法として、仕事の評価は同じ分野のプロが行うというピア・レビューがとられます。評価をする方も、的外れな評価をすればそれだけで評判は落ちるので真剣です。特に、個人的な事情が絡んでの甘い評価や、知ったかぶりでの評価をしたりすれば、即座に信用を失います。評価者が被評価者と個人的な関係があるということを言うだけでも評価の信頼性は失われます。プロとして当然心得えていなければなりません。
一方、その分野であまり知識がない場合には「自信を持って批判する」ということができません。「その批判は間違っている」と逆襲されたときの反論が用意できないからです。反対に言えば、素人にも自信を持って批判されるようならば、よっぽど出来が悪いと考えた方が良いでしょう。
4. プロの評価は3段階
評価に対するプロの態度は、大きく区切れば3段階です。もっとも厳しいのは「相手にしない」でしょう。そのことに触れるだけでも見識を疑われるようなものは放置です。少しでも評価する点があれば「批判」でしょう。もちろん、評価される側が少しでも理性的ならばですが。
気を付けないといけないのは「批判」は「相手にしない」よりは、少なくとも評価の対象になるという点では良いことです。批判をされたといって逆切れする人はよくいますが、相手にされるだけましだと思うべきでしょう。また、批判がないからといってそれが認められているということにはならないという理解も大事です。
プロとしての職業倫理に恥じないとなって初めて「ほめる」ことが可能となるのです。
プロの仕事とはどのようなものでしょう。私が思うに次のような特徴を持っています。
1. プロの仕事は命や金がかかっている時に必要
にせ医者に大事な手術をさせないのは当然ですし、間違って刑務所に入れられないようにするためにはちゃんとした弁護士が必要です。どうでも良いことなら、誰だってできます。
2. プロは間違ったことを言わない
やるべきことができればどんなことを言っても良いとはプロは考えません。やっていることだけでなく、言うことの正しさでも評価されるからです。
「フグの毒があるのは肝臓だけで、それだけとれば大丈夫」と言うフグ調理師を信用できますか。たとえこれまで大丈夫だったとしても、こんなことを言っているということだけでクビでしょう。
あるいは「ニュートンの運動方程式はf=maではなくてf=m/aだ」と言うエンジニアが設計した飛行機に乗る気がしますか。こうした間違いを平気で言ってしまうような人間はプロとは言えません。
3. プロの仕事の評価はプロがする
一般的に、評価というものは、対象に関する知識がある場合の方が辛くなります。だから、特定の分野での仕事のレベルを保つための方法として、仕事の評価は同じ分野のプロが行うというピア・レビューがとられます。評価をする方も、的外れな評価をすればそれだけで評判は落ちるので真剣です。特に、個人的な事情が絡んでの甘い評価や、知ったかぶりでの評価をしたりすれば、即座に信用を失います。評価者が被評価者と個人的な関係があるということを言うだけでも評価の信頼性は失われます。プロとして当然心得えていなければなりません。
一方、その分野であまり知識がない場合には「自信を持って批判する」ということができません。「その批判は間違っている」と逆襲されたときの反論が用意できないからです。反対に言えば、素人にも自信を持って批判されるようならば、よっぽど出来が悪いと考えた方が良いでしょう。
4. プロの評価は3段階
評価に対するプロの態度は、大きく区切れば3段階です。もっとも厳しいのは「相手にしない」でしょう。そのことに触れるだけでも見識を疑われるようなものは放置です。少しでも評価する点があれば「批判」でしょう。もちろん、評価される側が少しでも理性的ならばですが。
気を付けないといけないのは「批判」は「相手にしない」よりは、少なくとも評価の対象になるという点では良いことです。批判をされたといって逆切れする人はよくいますが、相手にされるだけましだと思うべきでしょう。また、批判がないからといってそれが認められているということにはならないという理解も大事です。
プロとしての職業倫理に恥じないとなって初めて「ほめる」ことが可能となるのです。
2008年12月09日
苦労しているのは日本語話者だけじゃない
外国語を学習するという行為は何も日本語話者が英語を学ぶだけではありません。言語の数がNなら、外国語を学ぶ組み合わせはN*(N-1)だけあります。
このような組み合わせで、難易はどのように決まるのでしょうか。白井恭弘『外国語学習の科学―第二言語習得論とは何か』(岩波新書)という本を読むと、両言語によりさまざまなようです。
これを具体的に見るには、いろいろな言語の話者が共通した一つの言語を学ぶ際の困難の違いや、反対に共通した一つの言語の話者がいろいろな言語を学ぶ際の困難のパターンが分かると役に立ちます。
外国語を学ぶことは発音だけではありませんが、分かりやすい例として発音について調べたものをネット上でいくつか見つけました。
Ship or Sheep? Third Edition, Likely errors
http://www.cambridge.org/elt/shiporsheep/likelyerrors.htm
これはイギリス英語発音の初級テキストである『Ship or Sheep』という本の関連サイトです。いろいろな言語(25あります)の話者が英語の発音をする場合の問題点の分析をしています。
Non-native pronunciations of English, Wikipedia
http://en.wikipedia.org/wiki/Non-native_pronunciations_of_English
これも同様です。言語の数は10で少なめです。
Anglophone pronunciation of foreign languages, Wikipedia
http://en.wikipedia.org/wiki/Anglophone_pronunciation_of_foreign_languages
こちらは反対に英語話者が他の言語を発音する際の問題点を述べています。
これら全部が妥当であるかどうかを判断することは、私はできません。知識のない言語もたくさんあるからです。
それでも、これらを見ていると、外国語を学習する際の困難の多様性が分かります。また、特に大事だと思うのは、外国語の学習が難しいのは何も日本語話者だけではないという事実です。
そんなこと当然じゃないか、と思ったあなた!健全な判断力の持ち主です。
世にあるトンデモ外国語学習法では「英語ができないのは日本人だけ」といった何の根拠もない脅しをしたり、「欧米言語は発音は同じ(だからヨーロッパ人は英語ができる)」といったこれまたデタラメを言うことが好きなようです。
おそらく自分が話すことが通じなかったことを根拠なしに勝手に日本人全体に広げたり、あるいは自分の無知とコンプレックスからでっち上げた分類にもとづく「理論」に自ら溺れているのでしょう。
事実にもとづく観察は正しい考え方の基本です。外国語学習でも同様です。外国語を学ぶことは複雑なプロセスです。それはここであげたサイトにでているパターンを見るだけで理解できます。そうした現実を無視した「理論」や「メソッド」はすぐに化けの皮がはがれるのです。
このような組み合わせで、難易はどのように決まるのでしょうか。白井恭弘『外国語学習の科学―第二言語習得論とは何か』(岩波新書)という本を読むと、両言語によりさまざまなようです。
これを具体的に見るには、いろいろな言語の話者が共通した一つの言語を学ぶ際の困難の違いや、反対に共通した一つの言語の話者がいろいろな言語を学ぶ際の困難のパターンが分かると役に立ちます。
外国語を学ぶことは発音だけではありませんが、分かりやすい例として発音について調べたものをネット上でいくつか見つけました。
Ship or Sheep? Third Edition, Likely errors
http://www.cambridge.org/elt/shiporsheep/likelyerrors.htm
これはイギリス英語発音の初級テキストである『Ship or Sheep』という本の関連サイトです。いろいろな言語(25あります)の話者が英語の発音をする場合の問題点の分析をしています。
Non-native pronunciations of English, Wikipedia
http://en.wikipedia.org/wiki/Non-native_pronunciations_of_English
これも同様です。言語の数は10で少なめです。
Anglophone pronunciation of foreign languages, Wikipedia
http://en.wikipedia.org/wiki/Anglophone_pronunciation_of_foreign_languages
こちらは反対に英語話者が他の言語を発音する際の問題点を述べています。
これら全部が妥当であるかどうかを判断することは、私はできません。知識のない言語もたくさんあるからです。
それでも、これらを見ていると、外国語を学習する際の困難の多様性が分かります。また、特に大事だと思うのは、外国語の学習が難しいのは何も日本語話者だけではないという事実です。
そんなこと当然じゃないか、と思ったあなた!健全な判断力の持ち主です。
世にあるトンデモ外国語学習法では「英語ができないのは日本人だけ」といった何の根拠もない脅しをしたり、「欧米言語は発音は同じ(だからヨーロッパ人は英語ができる)」といったこれまたデタラメを言うことが好きなようです。
おそらく自分が話すことが通じなかったことを根拠なしに勝手に日本人全体に広げたり、あるいは自分の無知とコンプレックスからでっち上げた分類にもとづく「理論」に自ら溺れているのでしょう。
事実にもとづく観察は正しい考え方の基本です。外国語学習でも同様です。外国語を学ぶことは複雑なプロセスです。それはここであげたサイトにでているパターンを見るだけで理解できます。そうした現実を無視した「理論」や「メソッド」はすぐに化けの皮がはがれるのです。
2008年12月07日
外国語学習オレオレ詐欺
前に書いた記事で、外国語学習の詐欺のことを書きました。
詐欺といえばオレオレ詐欺(最近は振り込め詐欺か)。やっぱりそうですね。それで、私がこのところずっと考えていたのは、外国語学習でもやっぱり詐欺の一番はオレオレ詐欺だということです。
「オレ」は昔はもてなかったけど「オレ」が見つけたこの方法を使ったら「オレ」はもてるようになった!「オレ」ができたんだから、「オレ」以外の誰でも「オレ」が発見して「オレ」が教える方法でできるようになる!「オレ」の言ってることだから間違いはない!「オレ」はいつから神になった!
まあ、「オレオレ」とうるさいこと。でも、まともな人はこんなに「オレオレ」言われたら、それだけでも詐欺だと思っちゃいますね。人をだますのももう少しうまくやらないと相手にしてもらえないですね。
詐欺といえばオレオレ詐欺(最近は振り込め詐欺か)。やっぱりそうですね。それで、私がこのところずっと考えていたのは、外国語学習でもやっぱり詐欺の一番はオレオレ詐欺だということです。
「オレ」は昔はもてなかったけど「オレ」が見つけたこの方法を使ったら「オレ」はもてるようになった!「オレ」ができたんだから、「オレ」以外の誰でも「オレ」が発見して「オレ」が教える方法でできるようになる!「オレ」の言ってることだから間違いはない!「オレ」はいつから神になった!
まあ、「オレオレ」とうるさいこと。でも、まともな人はこんなに「オレオレ」言われたら、それだけでも詐欺だと思っちゃいますね。人をだますのももう少しうまくやらないと相手にしてもらえないですね。
2008年11月01日
Radio La Nueva 101.9 FM
アメリカ、カリフォルニア州ロサンゼルスにあるスペイン語ラジオ放送局のサイトです。
http://www.univision.com/content/channel.jhtml?chid=9450&schid=9740
このラジオ放送局のEddie "Piolín" Soteloというメキシコ出身のパーソナリティはWikipediaによれば、南カリフォルニアで最もパワフルな100人に入っているそうです。
私はたまたま英語の新聞(ワシントン・ポスト)のサイトから見つけたのですが、なかなか面白いようです。
リアルタイムで放送も聞けるので、一回試してみることをおすすめします。全部分からなくても、アメリカのラティーノの雰囲気を感じるのも大事な気がします。
http://www.univision.com/content/channel.jhtml?chid=9450&schid=9740
このラジオ放送局のEddie "Piolín" Soteloというメキシコ出身のパーソナリティはWikipediaによれば、南カリフォルニアで最もパワフルな100人に入っているそうです。
私はたまたま英語の新聞(ワシントン・ポスト)のサイトから見つけたのですが、なかなか面白いようです。
リアルタイムで放送も聞けるので、一回試してみることをおすすめします。全部分からなくても、アメリカのラティーノの雰囲気を感じるのも大事な気がします。
2008年09月21日
International Herald Tribune
ニュース原稿の読み上げがある英字新聞のサイトです。
http://www.iht.com/
最近のアメリカの金融危機関係の情報を仕入れるのに、いくつかの英字新聞のサイトを見ているのですが、International Herald Tribuneのサイトが面白いことをやっているのに気がつきました。
ポータルから個別の記事をクリックすると、"Listen to Article"というのが出てきます。これをクリックすると記事原稿が読み上げられます。
注意深く聞いていると、普通はしない間違い(例えばJr.を「ジュニア」ではなく「ジェイ・アール」と読むとか)をしたり、しゃべる調子がいつも同じなので、音声合成では?という気がします。実際のところどうなのかは知らないのですが、それでも、ぼやっと聞いていると分からないほどです。
おそらくほとんどの記事で利用可能なので、聞き取りの練習にも役立つのではないかと思います。
http://www.iht.com/
最近のアメリカの金融危機関係の情報を仕入れるのに、いくつかの英字新聞のサイトを見ているのですが、International Herald Tribuneのサイトが面白いことをやっているのに気がつきました。
ポータルから個別の記事をクリックすると、"Listen to Article"というのが出てきます。これをクリックすると記事原稿が読み上げられます。
注意深く聞いていると、普通はしない間違い(例えばJr.を「ジュニア」ではなく「ジェイ・アール」と読むとか)をしたり、しゃべる調子がいつも同じなので、音声合成では?という気がします。実際のところどうなのかは知らないのですが、それでも、ぼやっと聞いていると分からないほどです。
おそらくほとんどの記事で利用可能なので、聞き取りの練習にも役立つのではないかと思います。
2008年09月09日
Samak Sundaravej
最近の記事はまったくNHK World Daily Newsのことを書いていないことに気づきました。これは「看板に偽りあり」となってしまいますので、急遽ネタを見つけました。
この記事のタイトルはタイの首相の名前です。タイ人の名前は、基本的にfirst name - family nameの順となっています。それならば新聞など、ある程度公式な場所ではどのように簡略化されるかというと、ほぼ間違いなくfirst nameだけになります。
ここ数日、NHK World Daily Newsでもタイの情勢が取り上げられていましたが、正しくel primer ministro Samakと言っていました。
一方、BBC Mundoではfamily nameを使っていました。
これでBBCが間違っているとまで言えるかは若干微妙なところですが、タイの事情にある程度通じた人なら、やはり違和感があるでしょう。NHKとBBCの違いがどこから出ているのかは分かりません。タイとのつながりはおそらく日本の方が強いでしょうから、そのためかもしれません。日本の新聞も私の見る限り「サマック首相」と書いていました。
外国語を学習するためにはこうした現地の習慣なども知っている必要がありますね。
(それにしても、首相が料理番組に出ていたから総辞職なんて・・・)
この記事のタイトルはタイの首相の名前です。タイ人の名前は、基本的にfirst name - family nameの順となっています。それならば新聞など、ある程度公式な場所ではどのように簡略化されるかというと、ほぼ間違いなくfirst nameだけになります。
ここ数日、NHK World Daily Newsでもタイの情勢が取り上げられていましたが、正しくel primer ministro Samakと言っていました。
一方、BBC Mundoではfamily nameを使っていました。
これでBBCが間違っているとまで言えるかは若干微妙なところですが、タイの事情にある程度通じた人なら、やはり違和感があるでしょう。NHKとBBCの違いがどこから出ているのかは分かりません。タイとのつながりはおそらく日本の方が強いでしょうから、そのためかもしれません。日本の新聞も私の見る限り「サマック首相」と書いていました。
外国語を学習するためにはこうした現地の習慣なども知っている必要がありますね。
(それにしても、首相が料理番組に出ていたから総辞職なんて・・・)
2008年09月07日
ネイティブスピーカー(2)
(今回の記事は、分かりにくくもなく皮肉も入っていません。これは私の文章技術の制約によるものですが、今回のテーマに合ったスタイルだとも思いますのでご寛恕のほどよろしくお願いいたします。)
外国語の学習で「ネイティブスピーカー」という言葉が横行していることは、すでに書きました。特に、トンデモ学習法ではオンパレードと言って良い状態だと思います。トンデモ学習法はその他に「100パーセント」といった詐欺師が使うような表現を多用していることも特徴としてあげられます。今回は「ネイティブスピーカー」という単語について、さらに詳しく考えてみることにします。
1. 「ネイティブスピーカーになれる」というのは詐欺である
「ネイティブスピーカー」という言葉の定義をもう一度確認してみると、「その言葉を物心ついた時から日常で使って覚えた者」ということだと思われます。そうだとすれば、すでに別の言葉だけを覚えて生活している者は「定義上」ネイティブスピーカーになることは不可能です(時間を元に戻すことができるなら別ですが)。
不可能なことを可能だというのは、世の中の一般的な言い方では「詐欺」です。このように言っている人は「詐欺師」ですし、「あなたはネイティブスピーカーになれました」と言われて喜んでいるのは、詐欺の片棒を担いでいるか「私は詐欺師に騙されました」と首から看板をかけて町中を歩いているようなものです。
これが例えば「これだけやればゴルフでタイガーウッズに勝てます」と言うのだったら、もしかしたら可能性があるかもしれません。定義上不可能ということはないからです。でも、普通このように言う人はいないでしょうし、詐欺だと言って裁判に持ち込まれたらおそらく負けるでしょう。常識的に見て不可能だからです。
「ネイティブスピーカーになれる」というのはもっと強い命題で、それは定義上不可能なのですから、裁判に持ち込まれたら間違いなく負けます(誰もそんなことを裁判に持っていくほどひまじゃないですから誰もやりませんけど)。詐欺に対する第一の備えは「近づかないこと」ですので、「ネイティブスピーカーになれる」という表現を見たら無視することが一番です。
2. 「ネイティブスピーカー」もいろいろである
生まれたときからその言葉を使ってきたといっても、各人の育つ環境はさまざまですし、実際、使う言葉も違ってきます。同じ言語、例えば英語といっても使う人の生物的、地域的、社会的な背景その他によっていろいろな違いがあります。
言葉を使うということは、その背後に必ず「抽象化」の過程があります。例えば、単語の意味ということだけ考えても、「猫」は、そこにいる三毛猫、あそこにいるペルシャ猫、・・・といったものを含んでいます。だから、一つの単語を使うことの裏に、こうした具体のものすべてと矛盾を起こさないにするという人間の知性の働きがあります。
「ネイティブスピーカー」という言葉も同様に考えなければなりません。その定義に当てはまる人間の数は、もちろん何の言語かによりますが、当然一人ではありませんし、メジャーな言語だったら何千万、何億というものになるでしょう。
もちろん、この多様性のすべてを説明するルールを見つけることはおそらく不可能ですし、そのようにする必要もありません。多くの場合に適用可能な法則(明示的なものである必要はない)ができれば、実用的には十分です。
例えばいくつかの言語では「標準語」や「共通語」といったものがあります。これらは、その動機はさまざまですが、いずれにせよ、その言語の使い手の持つ多様性を狭める効果を持ちます。これはある意味での「抽象化」といっても良いでしょう。
別の例では、英語の発音で基準とされているものがあります。イギリス英語ではReceived Pronunciation (RP)ないしBBC Englishと言われているものですし、アメリカ英語ではGeneral Americanと言われているものです。これらは、ある一人の話し手の発音では当然なく、出身や社会的環境などによる差異を考慮した上で抽象化された話し方の基準と言えるでしょう。もちろん、そうした抽象化(概念設定)は、現実にいる多くの話者の発音の変異の幅や傾向を見極めた上での最大公約数的なものを採用するという方法がとられます。ですから、そうした分析をきちんとしないで「抽象化」をすることは、まったくデタラメなものを作り上げていることになります。
言葉をちゃんと使うというのは、ここであげた単語の意味というレベルで見るだけでも、抽象化の方法論と背後にある多くの事例への理解が欠かせないものなのです。これができていないものは科学(よく言われる理科系と文科系といった区別にかかわりなく)として認められないオカルトと言ってよいものなのです。
3. 「ネイティブスピーカー」という言葉に潜む偏見
これまでの議論は基本的にどの言葉についても適用可能なものでしたが、ここで英語の場合について少し詳しく見てみることにします。当然のことながら、日本人が学ぶ外国語は圧倒的に英語が多いわけですし、実際、英語さえ知っていれば世界中の多くの場所で何とか用を足せるようになるという状況があるのは確かです。
学ぶ需要が多ければ、それにつれて供給が増えるのも当然で、英語に関する学習教材の数は他の言語のそれを圧倒しています。そうした中、発音の教材で「ネイティブスピーカー」を売り文句にしているものが目立つのも英語教材の特徴のように思われます。
こうした教材をすべて見たわけではないですが(それほどたくさんある)、多くの場合、アメリカの英語、ほんの少しがイギリス英語をベースにしているようです。
こうした状態は、現在の日本人の英語のニーズや利用可能な英語の材料の量からしても当然といえば当然なのでしょう。まあ、私の個人的な趣味から言えば雑誌ではEconomist、放送ではBBC、新聞ではStraights Timesなんかも面白いから試してみてはどうかと思いますけどね。
いずれにしても、「ネイティブスピーカー」を標榜する英語教材が、南アフリカ人やインド人、シンガポール人(いずれも生まれたときから英語だけの環境ではないものの、英語を使う環境で育っている)のことを取り上げているものはほとんどないと言えるでしょう。
確かにアメリカ人が使う英語をまねして覚えれば、おそらく「英語を使う環境」ならどこでも用を足すことはできるでしょう。でも、それだったらば他の英語だって大きな違いはありません。こうしたことを考えずにアメリカ人の発音だけ(それも、実は自分の手近にいる人間の発音だけといった代表性も疑わしいものだったりする)をあたかもネイティブスピーカー全体のものとするようなことは意味のない偏見を暴露していることにほかなりません。
細かな発音の違いを気にするのは、例えばコールセンターでインド訛りやフィリピン訛りの英語が聞こえると問題がある(要領を得ない回答をするといったことの方がもっと問題だと私は思いますが)といった瑣末なシチュエーションでしかありません(といっても、いわゆるaccent reductionを指導している機関の大きな仕事はこうしたコールセンターの従業員のトレーニングのようです)。
普通のまともな人間は、相手が話していることがちゃんとしているかを判断するのに労力を使うので、細かな訛りなど気にしていられないというのが実情です。この点を理解できないと、相手に聞き返される理由が実はこちらが話している内容がデタラメなためなのに、発音が問題なのだと思ってしまうような恥ずかしいことをしてしまいます。
瑣末な訛りを取り上げてさも大きな問題のように言い立てるネイティブスピーカーは私の見るところ三流の人間しかいません。その尻馬に乗って、外国語として英語を学ぶ側が「ネイティブスピーカーそっくり」が偉いと思ったりすることは醜悪かつ滑稽としか言いようがありません。
4. 発音だけが問題か
よく知られているように、外国語を運用するための能力は「聞く」「話す」「読む」「書く」の4つからなっています(最後の2つは書記のシステムがある場合)。これらは互いに関連していますから、当然のことながら学ぶ場合には総合的に関連させなければ効果の上がる学習とはなりません。
ところが「ネイティブスピーカー」を押し立てている多くの教材の関心は「話す」ことに集中しています。「スピーカー」ということに言葉に引きずられているのでしょうか。
もちろん「話す」ことは言語活動で主要なことですし、外国語として学ぶ場合には意味が通じるような発音をすることはきわめて重要です。しかし、言語活動はそれだけではありません。
私の感じるところ、外国語として言語を学ぶとき、もっとも難しいのは「書く」ことです。日本語を学んできたことを思い出せば、それは納得がいくことだと思います。ある程度のまとまった内容を論理的に組み立てながら文章にしていくことは、自然に身につく技術ではなく、しかるべき教育や訓練が必要です。さらに専門的な文章(例えば法律家が書くようなものを考えてください)を書くには、専門的な訓練がないと不可能です。
これは外国語を学ぶものにとってはきわめて高い目標といえます。実際、私の経験でも利害が異なる参加者の間で外国語で議論をしながら、合意できるような文書を作成していくというのはきわめて困難な作業です。そして、そのような場では、ネイティブスピーカーの持つ文章を作る力(これはもちろんそれまでの教育や実務経験により形成されてきたものです)に太刀打ちすることは大変で、議論がしゃべるだけだったらはるかに易しいとさえいえます。
それでも、外国語を学ぶ者はそうした場で役立つことを目標としなければなりません。そのためには、外国語の4つの技能すべてを向上させる必要があります。それだけでなく、専門的知識や、最終的には人としてもてる力すべてを動員していかなければなりません。それに比べたら「ネイティブスピーカーそっくりに話す」なんて、きわめてレベルの低い目標なのです。
外国語の学習で「ネイティブスピーカー」という言葉が横行していることは、すでに書きました。特に、トンデモ学習法ではオンパレードと言って良い状態だと思います。トンデモ学習法はその他に「100パーセント」といった詐欺師が使うような表現を多用していることも特徴としてあげられます。今回は「ネイティブスピーカー」という単語について、さらに詳しく考えてみることにします。
1. 「ネイティブスピーカーになれる」というのは詐欺である
「ネイティブスピーカー」という言葉の定義をもう一度確認してみると、「その言葉を物心ついた時から日常で使って覚えた者」ということだと思われます。そうだとすれば、すでに別の言葉だけを覚えて生活している者は「定義上」ネイティブスピーカーになることは不可能です(時間を元に戻すことができるなら別ですが)。
不可能なことを可能だというのは、世の中の一般的な言い方では「詐欺」です。このように言っている人は「詐欺師」ですし、「あなたはネイティブスピーカーになれました」と言われて喜んでいるのは、詐欺の片棒を担いでいるか「私は詐欺師に騙されました」と首から看板をかけて町中を歩いているようなものです。
これが例えば「これだけやればゴルフでタイガーウッズに勝てます」と言うのだったら、もしかしたら可能性があるかもしれません。定義上不可能ということはないからです。でも、普通このように言う人はいないでしょうし、詐欺だと言って裁判に持ち込まれたらおそらく負けるでしょう。常識的に見て不可能だからです。
「ネイティブスピーカーになれる」というのはもっと強い命題で、それは定義上不可能なのですから、裁判に持ち込まれたら間違いなく負けます(誰もそんなことを裁判に持っていくほどひまじゃないですから誰もやりませんけど)。詐欺に対する第一の備えは「近づかないこと」ですので、「ネイティブスピーカーになれる」という表現を見たら無視することが一番です。
2. 「ネイティブスピーカー」もいろいろである
生まれたときからその言葉を使ってきたといっても、各人の育つ環境はさまざまですし、実際、使う言葉も違ってきます。同じ言語、例えば英語といっても使う人の生物的、地域的、社会的な背景その他によっていろいろな違いがあります。
言葉を使うということは、その背後に必ず「抽象化」の過程があります。例えば、単語の意味ということだけ考えても、「猫」は、そこにいる三毛猫、あそこにいるペルシャ猫、・・・といったものを含んでいます。だから、一つの単語を使うことの裏に、こうした具体のものすべてと矛盾を起こさないにするという人間の知性の働きがあります。
「ネイティブスピーカー」という言葉も同様に考えなければなりません。その定義に当てはまる人間の数は、もちろん何の言語かによりますが、当然一人ではありませんし、メジャーな言語だったら何千万、何億というものになるでしょう。
もちろん、この多様性のすべてを説明するルールを見つけることはおそらく不可能ですし、そのようにする必要もありません。多くの場合に適用可能な法則(明示的なものである必要はない)ができれば、実用的には十分です。
例えばいくつかの言語では「標準語」や「共通語」といったものがあります。これらは、その動機はさまざまですが、いずれにせよ、その言語の使い手の持つ多様性を狭める効果を持ちます。これはある意味での「抽象化」といっても良いでしょう。
別の例では、英語の発音で基準とされているものがあります。イギリス英語ではReceived Pronunciation (RP)ないしBBC Englishと言われているものですし、アメリカ英語ではGeneral Americanと言われているものです。これらは、ある一人の話し手の発音では当然なく、出身や社会的環境などによる差異を考慮した上で抽象化された話し方の基準と言えるでしょう。もちろん、そうした抽象化(概念設定)は、現実にいる多くの話者の発音の変異の幅や傾向を見極めた上での最大公約数的なものを採用するという方法がとられます。ですから、そうした分析をきちんとしないで「抽象化」をすることは、まったくデタラメなものを作り上げていることになります。
言葉をちゃんと使うというのは、ここであげた単語の意味というレベルで見るだけでも、抽象化の方法論と背後にある多くの事例への理解が欠かせないものなのです。これができていないものは科学(よく言われる理科系と文科系といった区別にかかわりなく)として認められないオカルトと言ってよいものなのです。
3. 「ネイティブスピーカー」という言葉に潜む偏見
これまでの議論は基本的にどの言葉についても適用可能なものでしたが、ここで英語の場合について少し詳しく見てみることにします。当然のことながら、日本人が学ぶ外国語は圧倒的に英語が多いわけですし、実際、英語さえ知っていれば世界中の多くの場所で何とか用を足せるようになるという状況があるのは確かです。
学ぶ需要が多ければ、それにつれて供給が増えるのも当然で、英語に関する学習教材の数は他の言語のそれを圧倒しています。そうした中、発音の教材で「ネイティブスピーカー」を売り文句にしているものが目立つのも英語教材の特徴のように思われます。
こうした教材をすべて見たわけではないですが(それほどたくさんある)、多くの場合、アメリカの英語、ほんの少しがイギリス英語をベースにしているようです。
こうした状態は、現在の日本人の英語のニーズや利用可能な英語の材料の量からしても当然といえば当然なのでしょう。まあ、私の個人的な趣味から言えば雑誌ではEconomist、放送ではBBC、新聞ではStraights Timesなんかも面白いから試してみてはどうかと思いますけどね。
いずれにしても、「ネイティブスピーカー」を標榜する英語教材が、南アフリカ人やインド人、シンガポール人(いずれも生まれたときから英語だけの環境ではないものの、英語を使う環境で育っている)のことを取り上げているものはほとんどないと言えるでしょう。
確かにアメリカ人が使う英語をまねして覚えれば、おそらく「英語を使う環境」ならどこでも用を足すことはできるでしょう。でも、それだったらば他の英語だって大きな違いはありません。こうしたことを考えずにアメリカ人の発音だけ(それも、実は自分の手近にいる人間の発音だけといった代表性も疑わしいものだったりする)をあたかもネイティブスピーカー全体のものとするようなことは意味のない偏見を暴露していることにほかなりません。
細かな発音の違いを気にするのは、例えばコールセンターでインド訛りやフィリピン訛りの英語が聞こえると問題がある(要領を得ない回答をするといったことの方がもっと問題だと私は思いますが)といった瑣末なシチュエーションでしかありません(といっても、いわゆるaccent reductionを指導している機関の大きな仕事はこうしたコールセンターの従業員のトレーニングのようです)。
普通のまともな人間は、相手が話していることがちゃんとしているかを判断するのに労力を使うので、細かな訛りなど気にしていられないというのが実情です。この点を理解できないと、相手に聞き返される理由が実はこちらが話している内容がデタラメなためなのに、発音が問題なのだと思ってしまうような恥ずかしいことをしてしまいます。
瑣末な訛りを取り上げてさも大きな問題のように言い立てるネイティブスピーカーは私の見るところ三流の人間しかいません。その尻馬に乗って、外国語として英語を学ぶ側が「ネイティブスピーカーそっくり」が偉いと思ったりすることは醜悪かつ滑稽としか言いようがありません。
4. 発音だけが問題か
よく知られているように、外国語を運用するための能力は「聞く」「話す」「読む」「書く」の4つからなっています(最後の2つは書記のシステムがある場合)。これらは互いに関連していますから、当然のことながら学ぶ場合には総合的に関連させなければ効果の上がる学習とはなりません。
ところが「ネイティブスピーカー」を押し立てている多くの教材の関心は「話す」ことに集中しています。「スピーカー」ということに言葉に引きずられているのでしょうか。
もちろん「話す」ことは言語活動で主要なことですし、外国語として学ぶ場合には意味が通じるような発音をすることはきわめて重要です。しかし、言語活動はそれだけではありません。
私の感じるところ、外国語として言語を学ぶとき、もっとも難しいのは「書く」ことです。日本語を学んできたことを思い出せば、それは納得がいくことだと思います。ある程度のまとまった内容を論理的に組み立てながら文章にしていくことは、自然に身につく技術ではなく、しかるべき教育や訓練が必要です。さらに専門的な文章(例えば法律家が書くようなものを考えてください)を書くには、専門的な訓練がないと不可能です。
これは外国語を学ぶものにとってはきわめて高い目標といえます。実際、私の経験でも利害が異なる参加者の間で外国語で議論をしながら、合意できるような文書を作成していくというのはきわめて困難な作業です。そして、そのような場では、ネイティブスピーカーの持つ文章を作る力(これはもちろんそれまでの教育や実務経験により形成されてきたものです)に太刀打ちすることは大変で、議論がしゃべるだけだったらはるかに易しいとさえいえます。
それでも、外国語を学ぶ者はそうした場で役立つことを目標としなければなりません。そのためには、外国語の4つの技能すべてを向上させる必要があります。それだけでなく、専門的知識や、最終的には人としてもてる力すべてを動員していかなければなりません。それに比べたら「ネイティブスピーカーそっくりに話す」なんて、きわめてレベルの低い目標なのです。
2008年07月13日
20minutos.es
スペイン語圏を中心としたニュースのポータルサイトです。
http://www.20minutos.es/
スペインをはじめとするスペイン語圏、および世界のニュースのポータルサイトです。文章だけでなく、画像や音声、ビデオも豊富にあるので、多面的なスペイン語の力をつけるのに役立ちます。
ビデオや画像は、結構面白い話題があるので、スペイン語が完全に分からなくても楽しめます。
http://www.20minutos.es/
スペインをはじめとするスペイン語圏、および世界のニュースのポータルサイトです。文章だけでなく、画像や音声、ビデオも豊富にあるので、多面的なスペイン語の力をつけるのに役立ちます。
ビデオや画像は、結構面白い話題があるので、スペイン語が完全に分からなくても楽しめます。
2008年07月12日
Voces en español
スペイン語のブログです。
http://spanish-podcast.com/es/
スペイン語やスペイン語圏の話題について書いたブログです。更新頻度はそれほどでもありませんが、結構面白い話題をカバーしています。
いくつかの記事については読み上げられているのがポッドキャストになっていますので、聞き取りや話す練習にも使えます。
英語版
http://spanish-podcast.com/
もありますが、内容は独立しているので、分からないところを両方を見比べて推測するといったことはできません。
http://spanish-podcast.com/es/
スペイン語やスペイン語圏の話題について書いたブログです。更新頻度はそれほどでもありませんが、結構面白い話題をカバーしています。
いくつかの記事については読み上げられているのがポッドキャストになっていますので、聞き取りや話す練習にも使えます。
英語版
http://spanish-podcast.com/
もありますが、内容は独立しているので、分からないところを両方を見比べて推測するといったことはできません。
2008年06月19日
外国語トンデモ学習法(その3)
ずいぶん間が空いてしまいましたが、これは研究に余念がなかったからです。そして、考える時間があった成果がありました。外国語トンデモ学習法に関しての新たな発見です。それは、トンデモ学習法の「理論」は強力な論理で証明されているです。
すでに前に書いた記事で、外国語トンデモ学習法では「理論」が大事であることを見ました。そうです、何がなくとも立派な「理論」がなくては始まりません。すばらしいことです。
しかし、世の中、トンデモ学習法を支持する立派な人たちばかりではありません。バカな反トンデモ学習法主義者はいつの時代、どこにもいて(天動説の例をあげるまでもなく)、トンデモ学習法の意義や正しさを理解できずに、「その『理論』が正しいという証明があるの?」とか「その『理論』じゃ現実を説明できてないんじゃないの?」などと不遜にも聞いてきます。
まあ、こんなバカは放っておくのが世のため、人のためですが、心優しいトンデモ学習法の作者は、どんなにつまらぬ、間違ったことでもきちんと訂正してあげないとバカが広がってしまうことをおそれて、たいていの場合、まじめに対応してしまいます。場合によっては、自分を実験台にさらすといった人類愛と科学の進歩に対する貢献心なくしてはできないような方法をとります。そして、自分がやって見せ、みんなもやっていることだといって証明します。
いってみれば、逆立ちをして歩いて見せて、「ほら、世の中の人はみんな逆立ちして歩いてるんですよ」というような、きわめて斬新かつ強力な論理によって証明しているのです。
いやあ、こんな強力な論理の進め方があったことに気がつかなかったなんて、私はなんと迂闊だったんでしょう。このすばらしさを知ったとき、私は体に震えがきました。
ただ、残念ながら、逆立ち歩きもほんの数メートルいったところで倒れてしまうことが多いように見えます。どうせなら、グラウンドの端から端まで逆立ちで歩いて見せて(体育大学の学生ならその位のことはできます)、二足歩行なんてぶざまな姿は人に見せないくらいのことはして欲しかったなと思います。
いずれにしても強力な論理で証明されたトンデモ学習法の「理論」は間違いようがありません。この正しさを疑うのはバカとしか言いようがないでしょう。
*****
でも、あなたは「ニュートンの運動方程式はf=maではなくてf=ma2だ」と言っているようなエンジニアが設計した飛行機に乗る気がしますか?
すでに前に書いた記事で、外国語トンデモ学習法では「理論」が大事であることを見ました。そうです、何がなくとも立派な「理論」がなくては始まりません。すばらしいことです。
しかし、世の中、トンデモ学習法を支持する立派な人たちばかりではありません。バカな反トンデモ学習法主義者はいつの時代、どこにもいて(天動説の例をあげるまでもなく)、トンデモ学習法の意義や正しさを理解できずに、「その『理論』が正しいという証明があるの?」とか「その『理論』じゃ現実を説明できてないんじゃないの?」などと不遜にも聞いてきます。
まあ、こんなバカは放っておくのが世のため、人のためですが、心優しいトンデモ学習法の作者は、どんなにつまらぬ、間違ったことでもきちんと訂正してあげないとバカが広がってしまうことをおそれて、たいていの場合、まじめに対応してしまいます。場合によっては、自分を実験台にさらすといった人類愛と科学の進歩に対する貢献心なくしてはできないような方法をとります。そして、自分がやって見せ、みんなもやっていることだといって証明します。
いってみれば、逆立ちをして歩いて見せて、「ほら、世の中の人はみんな逆立ちして歩いてるんですよ」というような、きわめて斬新かつ強力な論理によって証明しているのです。
いやあ、こんな強力な論理の進め方があったことに気がつかなかったなんて、私はなんと迂闊だったんでしょう。このすばらしさを知ったとき、私は体に震えがきました。
ただ、残念ながら、逆立ち歩きもほんの数メートルいったところで倒れてしまうことが多いように見えます。どうせなら、グラウンドの端から端まで逆立ちで歩いて見せて(体育大学の学生ならその位のことはできます)、二足歩行なんてぶざまな姿は人に見せないくらいのことはして欲しかったなと思います。
いずれにしても強力な論理で証明されたトンデモ学習法の「理論」は間違いようがありません。この正しさを疑うのはバカとしか言いようがないでしょう。
*****
でも、あなたは「ニュートンの運動方程式はf=maではなくてf=ma2だ」と言っているようなエンジニアが設計した飛行機に乗る気がしますか?
2008年05月11日
外国語学習の統一理論
いや、まだそんなに立派なものはできていないんです。
20世紀の物理学が打ち立てたのは「一般相対性理論」と「量子力学」であり、これは人類の知性の大きな成果であると考えられます。この両者を統一することが現代の物理学の最大の挑戦であるとされています。具体的には、「電磁気力」、「弱い相互作用」、「強い相互作用」と「重力」の四つの力を一つの理論で記述するのが目標となっています。
外国語学習を説明するための理論もいくつかあるようですが、私はこれらも物理学と同様に最終的に一つの「外国語学習の統一理論」で説明されなければならないと思います。
すでに私は、ゴルフとカラオケができれば外国語は覚えられるで、外国語学習とゴルフ、カラオケとの類似性を述べています。また、外国語トンデモ学習法においては、ゴルフ、カラオケを身につける理論として特殊相対性理論と対位法をあげています。
ところで、外国語トンデモ学習法(その2)に書いた通り、外国語学習法において「100%できるようになる」あるいはそれに類似の表現を使っているものが多いことを指摘してきました。
これはいかがなものかとずっと考えていたのですが、はたと気がついたのは「外国語学習は20世紀の物理学の偉大な成果の一つである量子力学を考慮していない結果ではないか」ということです。
量子力学の原則の一つとして「不確定性原理」があります。物質の位置と運動量を同時にある精度以上は決定できないというもので、これからすると「100%」などというのはありえないことになります。ですから、「100%」を標榜している外国語学習理論はすべて量子力学的効果を考慮に入れて修正をする必要があります。これができてはじめて、外国語学習の統一理論への道が開けるのです。最初は、外国語学習とゴルフを統一し、最終的にはカラオケまで統一できて外国語学習の統一理論は完成するのです!
20世紀の物理学が打ち立てたのは「一般相対性理論」と「量子力学」であり、これは人類の知性の大きな成果であると考えられます。この両者を統一することが現代の物理学の最大の挑戦であるとされています。具体的には、「電磁気力」、「弱い相互作用」、「強い相互作用」と「重力」の四つの力を一つの理論で記述するのが目標となっています。
外国語学習を説明するための理論もいくつかあるようですが、私はこれらも物理学と同様に最終的に一つの「外国語学習の統一理論」で説明されなければならないと思います。
すでに私は、ゴルフとカラオケができれば外国語は覚えられるで、外国語学習とゴルフ、カラオケとの類似性を述べています。また、外国語トンデモ学習法においては、ゴルフ、カラオケを身につける理論として特殊相対性理論と対位法をあげています。
ところで、外国語トンデモ学習法(その2)に書いた通り、外国語学習法において「100%できるようになる」あるいはそれに類似の表現を使っているものが多いことを指摘してきました。
これはいかがなものかとずっと考えていたのですが、はたと気がついたのは「外国語学習は20世紀の物理学の偉大な成果の一つである量子力学を考慮していない結果ではないか」ということです。
量子力学の原則の一つとして「不確定性原理」があります。物質の位置と運動量を同時にある精度以上は決定できないというもので、これからすると「100%」などというのはありえないことになります。ですから、「100%」を標榜している外国語学習理論はすべて量子力学的効果を考慮に入れて修正をする必要があります。これができてはじめて、外国語学習の統一理論への道が開けるのです。最初は、外国語学習とゴルフを統一し、最終的にはカラオケまで統一できて外国語学習の統一理論は完成するのです!
2008年05月10日
SpanishPod101
これもスペイン語オンライン教材です。
http://www.spanishpod101.com/
前回紹介したものと名前が似ていますが別のものです。やはり、無料で利用できるものと、利用に料金がかかるものがあります。
現在、毎日新しい教材が一つずつアップロードされています。内容やレベルもさまざまです。解説は英語でされています。スペイン語だけで説明されているものは無いようです。
私が面白いと思うのはRegional Spanish Seriesで、スペイン語圏のいろいろな国のスペイン語を紹介しています。現在、イベリア半島(スペイン)、ペルー、コスタリカがあります。
http://www.spanishpod101.com/
前回紹介したものと名前が似ていますが別のものです。やはり、無料で利用できるものと、利用に料金がかかるものがあります。
現在、毎日新しい教材が一つずつアップロードされています。内容やレベルもさまざまです。解説は英語でされています。スペイン語だけで説明されているものは無いようです。
私が面白いと思うのはRegional Spanish Seriesで、スペイン語圏のいろいろな国のスペイン語を紹介しています。現在、イベリア半島(スペイン)、ペルー、コスタリカがあります。
2008年05月08日
SpanishPod
スペイン語のオンライン教材のサイトです。
http://spanishpod.com/
かなり多くの教材がオンラインで利用可能となっています。無料で利用できるものもあります。料金を支払うことで、個人的なガイダンスなどを受けることもできるようです。
無料で利用できる教材でも、ダウンロード可能で、これをMP3プレーヤーなどを使ってリスニングの練習などに使うと良いかと思います。レベルや内容も豊富なので、自分に合ったものを使うと良いでしょう。
http://spanishpod.com/
かなり多くの教材がオンラインで利用可能となっています。無料で利用できるものもあります。料金を支払うことで、個人的なガイダンスなどを受けることもできるようです。
無料で利用できる教材でも、ダウンロード可能で、これをMP3プレーヤーなどを使ってリスニングの練習などに使うと良いかと思います。レベルや内容も豊富なので、自分に合ったものを使うと良いでしょう。
タグ:RSS SpanishPod
2008年05月03日
外国語学習には超えられない壁がある
ひさびさに「大仮説」の季節になりました(って、どんな季節だ)。いや、そんなに大仮説なんて頻繁に立てられるもんじゃないんですよ。
今日の大仮説は、前に立てた「外国語学習の最大のライバルはお金だ」の拡張です。
それは
外国語学習には超えられない壁がある
です。
え、何が壁なんですか。ネイティブスピーカーが壁ですか。帰国子女のバイリンガルスピーカーが壁ですか。まあ、話を聞きなさい。
外国語学習の壁は一つではなく、少なくとも三つあることが分かっています。具体的には、言っていることが相手に聞いてもらえるかというのが判断基準になります。これを図示すると以下の通りになります。
これが正しいことはほとんど自明なことなので、証明は読者の皆さんにおまかせします(笑)。
さて、この仮説の意味するところは外国語学習にとってきわめて重大です。すなわち、超えられない壁で区切られた下の部分だけ練習して身につけても、壁の上のレベルには絶対に到達できないからです。だから、外国語学習者はすべからく、このリストの上の方から努力するべきなのです。間違っても、下の方からアプローチしてはいけません。大事な時間と労力は効率的に使うべきなのは、世の中の大原則です。
なお、この仮説は学習する外国語が何かによらないことも明らかです。ヨーロッパ言語だろうが、東アジア言語(日本語、韓国語だけではない)だけでなく、およそ人間が使う言語ならすべてに当てはまります。また、学習者の母語、国籍、職業(演歌歌手だろうが、俳優だろうが、でも犬やカエルはダメですよ)などにもよりません。適用範囲の広さがこの仮説の強力なことを示しているのです。
今日の大仮説は、前に立てた「外国語学習の最大のライバルはお金だ」の拡張です。
それは
外国語学習には超えられない壁がある
です。
え、何が壁なんですか。ネイティブスピーカーが壁ですか。帰国子女のバイリンガルスピーカーが壁ですか。まあ、話を聞きなさい。
外国語学習の壁は一つではなく、少なくとも三つあることが分かっています。具体的には、言っていることが相手に聞いてもらえるかというのが判断基準になります。これを図示すると以下の通りになります。
@金を持っている
v
v
(超えられない壁)
v
v
A言ってることがまとも
v
v
(超えられない壁)
v
v
B言ってることが文法的に正しい
v
Cプロソディ(ストレス、リズム、イントネーションなど)が正しい
v
D個々の音、単語やそのつながりの発音が正しい
v
v
(超えられない壁)
v
v
E声がよく聞こえる
なお、BCDの順序は、それぞれの程度により入れ替わることがあります。
これが正しいことはほとんど自明なことなので、証明は読者の皆さんにおまかせします(笑)。
さて、この仮説の意味するところは外国語学習にとってきわめて重大です。すなわち、超えられない壁で区切られた下の部分だけ練習して身につけても、壁の上のレベルには絶対に到達できないからです。だから、外国語学習者はすべからく、このリストの上の方から努力するべきなのです。間違っても、下の方からアプローチしてはいけません。大事な時間と労力は効率的に使うべきなのは、世の中の大原則です。
なお、この仮説は学習する外国語が何かによらないことも明らかです。ヨーロッパ言語だろうが、東アジア言語(日本語、韓国語だけではない)だけでなく、およそ人間が使う言語ならすべてに当てはまります。また、学習者の母語、国籍、職業(演歌歌手だろうが、俳優だろうが、でも犬やカエルはダメですよ)などにもよりません。適用範囲の広さがこの仮説の強力なことを示しているのです。
2008年04月03日
Vita lingualis 14. 帰国後
タイから帰ると、また外国語を日常的に使うといった環境で働くことはありません。それでも、外国からのお客さんに日本のことを説明したりすることも何回かありますし、外国の研究機関と一緒に仕事をするということで英語を使うこともあります。研究機関で働いているときに、日本・中国・韓国の3カ国の研究機関が共同研究をすることになりました。この時は英語が作業言語になりました。通訳を入れてやろうとすると大変面倒なことだと思いますし、コストもかかります。少し残念だったのは、カウンターパートとなった中国、韓国の研究機関には日本語ができる研究者が結構いるのに、私がいた研究機関では中国語も韓国語もできる者がいないことでした。
外国語学習のモメンタムを少しでも維持しようと思い、各種の試験や資格にチャレンジもしました。英語ではTOEICを受験しましたし、スペイン語ではDELEの中級にチャレンジし、合格できました。また、英語の通訳技能検定2級(この資格は「有効期限」があり、私は昔に合格しただけなのですでに効力はなくなっています)、通訳ガイド資格(英語とスペイン語)も取得しました。通訳ガイド試験は、英語は最後の試験の実施日が海外出張と重なって2年がかりになりましたし、スペイン語は1年目不合格で、次の年にやっと合格しました。これらの試験や資格が、どの程度、外国語の運用能力の目安になるかは、さまざまな議論があり得ると思いますが、学習のためのモチベーションになるとしたら、うまく使えば良いのだと思います。もちろん、プロとして外国語を使うのだったら、こうした試験、資格は運用能力の最初の第一歩でしかなく、実際に使っていく中で能力を磨いていくしかないでしょう。
ここ数年の仕事では、結構外国語を使う機会が多くなっています。もちろん、こうした場合でも外国語の運用能力は、必要とされることの一部でしかありません。言葉を使って相手とコミュニケートする、特にこちら側の考え方を理解してもらうようにするためには、話す内容、論理的構成、実際の場でのデリバリー、対人関係の持ち方などを十分に練り上げる必要があります。「外国語が使える」というのは、こうしたトータルな能力の中で、少なくとも外国語の運用能力が全体の足を引っ張ることが無いようにすることなのだと考えています。
(この項終わり)
外国語学習のモメンタムを少しでも維持しようと思い、各種の試験や資格にチャレンジもしました。英語ではTOEICを受験しましたし、スペイン語ではDELEの中級にチャレンジし、合格できました。また、英語の通訳技能検定2級(この資格は「有効期限」があり、私は昔に合格しただけなのですでに効力はなくなっています)、通訳ガイド資格(英語とスペイン語)も取得しました。通訳ガイド試験は、英語は最後の試験の実施日が海外出張と重なって2年がかりになりましたし、スペイン語は1年目不合格で、次の年にやっと合格しました。これらの試験や資格が、どの程度、外国語の運用能力の目安になるかは、さまざまな議論があり得ると思いますが、学習のためのモチベーションになるとしたら、うまく使えば良いのだと思います。もちろん、プロとして外国語を使うのだったら、こうした試験、資格は運用能力の最初の第一歩でしかなく、実際に使っていく中で能力を磨いていくしかないでしょう。
ここ数年の仕事では、結構外国語を使う機会が多くなっています。もちろん、こうした場合でも外国語の運用能力は、必要とされることの一部でしかありません。言葉を使って相手とコミュニケートする、特にこちら側の考え方を理解してもらうようにするためには、話す内容、論理的構成、実際の場でのデリバリー、対人関係の持ち方などを十分に練り上げる必要があります。「外国語が使える」というのは、こうしたトータルな能力の中で、少なくとも外国語の運用能力が全体の足を引っ張ることが無いようにすることなのだと考えています。
(この項終わり)



