2008年09月21日

International Herald Tribune

ニュース原稿の読み上げがある英字新聞のサイトです。
http://www.iht.com/

最近のアメリカの金融危機関係の情報を仕入れるのに、いくつかの英字新聞のサイトを見ているのですが、International Herald Tribuneのサイトが面白いことをやっているのに気がつきました。

ポータルから個別の記事をクリックすると、"Listen to Article"というのが出てきます。これをクリックすると記事原稿が読み上げられます。

注意深く聞いていると、普通はしない間違い(例えばJr.を「ジュニア」ではなく「ジェイ・アール」と読むとか)をしたり、しゃべる調子がいつも同じなので、音声合成では?という気がします。実際のところどうなのかは知らないのですが、それでも、ぼやっと聞いていると分からないほどです。

おそらくほとんどの記事で利用可能なので、聞き取りの練習にも役立つのではないかと思います。
posted by 杉田伸樹 at 21:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 役立つサイト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月09日

Samak Sundaravej

最近の記事はまったくNHK World Daily Newsのことを書いていないことに気づきました。これは「看板に偽りあり」となってしまいますので、急遽ネタを見つけました。

この記事のタイトルはタイの首相の名前です。タイ人の名前は、基本的にfirst name - family nameの順となっています。それならば新聞など、ある程度公式な場所ではどのように簡略化されるかというと、ほぼ間違いなくfirst nameだけになります。

ここ数日、NHK World Daily Newsでもタイの情勢が取り上げられていましたが、正しくel primer ministro Samakと言っていました。

一方、BBC Mundoではfamily nameを使っていました。

これでBBCが間違っているとまで言えるかは若干微妙なところですが、タイの事情にある程度通じた人なら、やはり違和感があるでしょう。NHKとBBCの違いがどこから出ているのかは分かりません。タイとのつながりはおそらく日本の方が強いでしょうから、そのためかもしれません。日本の新聞も私の見る限り「サマック首相」と書いていました。

外国語を学習するためにはこうした現地の習慣なども知っている必要がありますね。

(それにしても、首相が料理番組に出ていたから総辞職なんて・・・)
posted by 杉田伸樹 at 22:44| Comment(0) | TrackBack(0) | スペイン語いろいろ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月07日

ネイティブスピーカー(2)

(今回の記事は、分かりにくくもなく皮肉も入っていません。これは私の文章技術の制約によるものですが、今回のテーマに合ったスタイルだとも思いますのでご寛恕のほどよろしくお願いいたします。)

外国語の学習で「ネイティブスピーカー」という言葉が横行していることは、すでに書きました。特に、トンデモ学習法ではオンパレードと言って良い状態だと思います。トンデモ学習法はその他に「100パーセント」といった詐欺師が使うような表現を多用していることも特徴としてあげられます。今回は「ネイティブスピーカー」という単語について、さらに詳しく考えてみることにします。

1. 「ネイティブスピーカーになれる」というのは詐欺である

「ネイティブスピーカー」という言葉の定義をもう一度確認してみると、「その言葉を物心ついた時から日常で使って覚えた者」ということだと思われます。そうだとすれば、すでに別の言葉だけを覚えて生活している者は「定義上」ネイティブスピーカーになることは不可能です(時間を元に戻すことができるなら別ですが)。

不可能なことを可能だというのは、世の中の一般的な言い方では「詐欺」です。このように言っている人は「詐欺師」ですし、「あなたはネイティブスピーカーになれました」と言われて喜んでいるのは、詐欺の片棒を担いでいるか「私は詐欺師に騙されました」と首から看板をかけて町中を歩いているようなものです。

これが例えば「これだけやればゴルフでタイガーウッズに勝てます」と言うのだったら、もしかしたら可能性があるかもしれません。定義上不可能ということはないからです。でも、普通このように言う人はいないでしょうし、詐欺だと言って裁判に持ち込まれたらおそらく負けるでしょう。常識的に見て不可能だからです。

「ネイティブスピーカーになれる」というのはもっと強い命題で、それは定義上不可能なのですから、裁判に持ち込まれたら間違いなく負けます(誰もそんなことを裁判に持っていくほどひまじゃないですから誰もやりませんけど)。詐欺に対する第一の備えは「近づかないこと」ですので、「ネイティブスピーカーになれる」という表現を見たら無視することが一番です。

2. 「ネイティブスピーカー」もいろいろである

生まれたときからその言葉を使ってきたといっても、各人の育つ環境はさまざまですし、実際、使う言葉も違ってきます。同じ言語、例えば英語といっても使う人の生物的、地域的、社会的な背景その他によっていろいろな違いがあります

言葉を使うということは、その背後に必ず「抽象化」の過程があります。例えば、単語の意味ということだけ考えても、「猫」は、そこにいる三毛猫、あそこにいるペルシャ猫、・・・といったものを含んでいます。だから、一つの単語を使うことの裏に、こうした具体のものすべてと矛盾を起こさないにするという人間の知性の働きがあります。

「ネイティブスピーカー」という言葉も同様に考えなければなりません。その定義に当てはまる人間の数は、もちろん何の言語かによりますが、当然一人ではありませんし、メジャーな言語だったら何千万、何億というものになるでしょう。

もちろん、この多様性のすべてを説明するルールを見つけることはおそらく不可能ですし、そのようにする必要もありません。多くの場合に適用可能な法則(明示的なものである必要はない)ができれば、実用的には十分です。

例えばいくつかの言語では「標準語」や「共通語」といったものがあります。これらは、その動機はさまざまですが、いずれにせよ、その言語の使い手の持つ多様性を狭める効果を持ちます。これはある意味での「抽象化」といっても良いでしょう。

別の例では、英語の発音で基準とされているものがあります。イギリス英語ではReceived Pronunciation (RP)ないしBBC Englishと言われているものですし、アメリカ英語ではGeneral Americanと言われているものです。これらは、ある一人の話し手の発音では当然なく、出身や社会的環境などによる差異を考慮した上で抽象化された話し方の基準と言えるでしょう。もちろん、そうした抽象化(概念設定)は、現実にいる多くの話者の発音の変異の幅や傾向を見極めた上での最大公約数的なものを採用するという方法がとられます。ですから、そうした分析をきちんとしないで「抽象化」をすることは、まったくデタラメなものを作り上げていることになります。

言葉をちゃんと使うというのは、ここであげた単語の意味というレベルで見るだけでも、抽象化の方法論と背後にある多くの事例への理解が欠かせないものなのです。これができていないものは科学(よく言われる理科系と文科系といった区別にかかわりなく)として認められないオカルトと言ってよいものなのです。

3. 「ネイティブスピーカー」という言葉に潜む偏見

これまでの議論は基本的にどの言葉についても適用可能なものでしたが、ここで英語の場合について少し詳しく見てみることにします。当然のことながら、日本人が学ぶ外国語は圧倒的に英語が多いわけですし、実際、英語さえ知っていれば世界中の多くの場所で何とか用を足せるようになるという状況があるのは確かです。

学ぶ需要が多ければ、それにつれて供給が増えるのも当然で、英語に関する学習教材の数は他の言語のそれを圧倒しています。そうした中、発音の教材で「ネイティブスピーカー」を売り文句にしているものが目立つのも英語教材の特徴のように思われます。

こうした教材をすべて見たわけではないですが(それほどたくさんある)、多くの場合、アメリカの英語、ほんの少しがイギリス英語をベースにしているようです。

こうした状態は、現在の日本人の英語のニーズや利用可能な英語の材料の量からしても当然といえば当然なのでしょう。まあ、私の個人的な趣味から言えば雑誌ではEconomist、放送ではBBC、新聞ではStraights Timesなんかも面白いから試してみてはどうかと思いますけどね。

いずれにしても、「ネイティブスピーカー」を標榜する英語教材が、南アフリカ人やインド人、シンガポール人(いずれも生まれたときから英語だけの環境ではないものの、英語を使う環境で育っている)のことを取り上げているものはほとんどないと言えるでしょう。

確かにアメリカ人が使う英語をまねして覚えれば、おそらく「英語を使う環境」ならどこでも用を足すことはできるでしょう。でも、それだったらば他の英語だって大きな違いはありません。こうしたことを考えずにアメリカ人の発音だけ(それも、実は自分の手近にいる人間の発音だけといった代表性も疑わしいものだったりする)をあたかもネイティブスピーカー全体のものとするようなことは意味のない偏見を暴露していることにほかなりません。

細かな発音の違いを気にするのは、例えばコールセンターでインド訛りやフィリピン訛りの英語が聞こえると問題がある(要領を得ない回答をするといったことの方がもっと問題だと私は思いますが)といった瑣末なシチュエーションでしかありません(といっても、いわゆるaccent reductionを指導している機関の大きな仕事はこうしたコールセンターの従業員のトレーニングのようです)。

普通のまともな人間は、相手が話していることがちゃんとしているかを判断するのに労力を使うので、細かな訛りなど気にしていられないというのが実情です。この点を理解できないと、相手に聞き返される理由が実はこちらが話している内容がデタラメなためなのに、発音が問題なのだと思ってしまうような恥ずかしいことをしてしまいます。

瑣末な訛りを取り上げてさも大きな問題のように言い立てるネイティブスピーカーは私の見るところ三流の人間しかいません。その尻馬に乗って、外国語として英語を学ぶ側が「ネイティブスピーカーそっくり」が偉いと思ったりすることは醜悪かつ滑稽としか言いようがありません。

4. 発音だけが問題か

よく知られているように、外国語を運用するための能力は「聞く」「話す」「読む」「書く」の4つからなっています(最後の2つは書記のシステムがある場合)。これらは互いに関連していますから、当然のことながら学ぶ場合には総合的に関連させなければ効果の上がる学習とはなりません。

ところが「ネイティブスピーカー」を押し立てている多くの教材の関心は「話す」ことに集中しています。「スピーカー」ということに言葉に引きずられているのでしょうか。

もちろん「話す」ことは言語活動で主要なことですし、外国語として学ぶ場合には意味が通じるような発音をすることはきわめて重要です。しかし、言語活動はそれだけではありません。

私の感じるところ、外国語として言語を学ぶとき、もっとも難しいのは「書く」ことです。日本語を学んできたことを思い出せば、それは納得がいくことだと思います。ある程度のまとまった内容を論理的に組み立てながら文章にしていくことは、自然に身につく技術ではなく、しかるべき教育や訓練が必要です。さらに専門的な文章(例えば法律家が書くようなものを考えてください)を書くには、専門的な訓練がないと不可能です。

これは外国語を学ぶものにとってはきわめて高い目標といえます。実際、私の経験でも利害が異なる参加者の間で外国語で議論をしながら、合意できるような文書を作成していくというのはきわめて困難な作業です。そして、そのような場では、ネイティブスピーカーの持つ文章を作る力(これはもちろんそれまでの教育や実務経験により形成されてきたものです)に太刀打ちすることは大変で、議論がしゃべるだけだったらはるかに易しいとさえいえます。

それでも、外国語を学ぶ者はそうした場で役立つことを目標としなければなりません。そのためには、外国語の4つの技能すべてを向上させる必要があります。それだけでなく、専門的知識や、最終的には人としてもてる力すべてを動員していかなければなりません。それに比べたら「ネイティブスピーカーそっくりに話す」なんて、きわめてレベルの低い目標なのです。
posted by 杉田伸樹 at 23:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 外国語練習いろいろ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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