2008年04月03日

Vita lingualis 14. 帰国後

タイから帰ると、また外国語を日常的に使うといった環境で働くことはありません。それでも、外国からのお客さんに日本のことを説明したりすることも何回かありますし、外国の研究機関と一緒に仕事をするということで英語を使うこともあります。研究機関で働いているときに、日本・中国・韓国の3カ国の研究機関が共同研究をすることになりました。この時は英語が作業言語になりました。通訳を入れてやろうとすると大変面倒なことだと思いますし、コストもかかります。少し残念だったのは、カウンターパートとなった中国、韓国の研究機関には日本語ができる研究者が結構いるのに、私がいた研究機関では中国語も韓国語もできる者がいないことでした。

外国語学習のモメンタムを少しでも維持しようと思い、各種の試験や資格にチャレンジもしました。英語ではTOEICを受験しましたし、スペイン語ではDELEの中級にチャレンジし、合格できました。また、英語の通訳技能検定2級(この資格は「有効期限」があり、私は昔に合格しただけなのですでに効力はなくなっています)、通訳ガイド資格(英語とスペイン語)も取得しました。通訳ガイド試験は、英語は最後の試験の実施日が海外出張と重なって2年がかりになりましたし、スペイン語は1年目不合格で、次の年にやっと合格しました。これらの試験や資格が、どの程度、外国語の運用能力の目安になるかは、さまざまな議論があり得ると思いますが、学習のためのモチベーションになるとしたら、うまく使えば良いのだと思います。もちろん、プロとして外国語を使うのだったら、こうした試験、資格は運用能力の最初の第一歩でしかなく、実際に使っていく中で能力を磨いていくしかないでしょう。

ここ数年の仕事では、結構外国語を使う機会が多くなっています。もちろん、こうした場合でも外国語の運用能力は、必要とされることの一部でしかありません。言葉を使って相手とコミュニケートする、特にこちら側の考え方を理解してもらうようにするためには、話す内容、論理的構成、実際の場でのデリバリー、対人関係の持ち方などを十分に練り上げる必要があります。「外国語が使える」というのは、こうしたトータルな能力の中で、少なくとも外国語の運用能力が全体の足を引っ張ることが無いようにすることなのだと考えています。

(この項終わり)
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2008年02月04日

Vita lingualis 13. タイ勤務(赴任後)

タイに着任すると、毎日の仕事と生活が始まります。バンコクは暑さと交通渋滞が有名です。暑さはどうしようもないので、慣れるか、冷房のあるところにはやく退避するというのが一番です。渋滞に関していえば、オフィスと家の間は普通は車で30〜40分ですが、ある時は3時間かかったことがありました。私の前任者は同じところに住んでいましたが6時間かかったことがあるそうです。

いずれにしても、タイ語を勉強しようというにはネガティブな条件です(いや、単なる言い訳じゃないかって、どうもすみません)。それ以外でも、前に書いた通り、あまりタイ語をしっかりやろうという気にならなかったことがあります。例えば、仕事についていえば、英語で用が足りるし、反対に仕事で使えるぐらいのタイ語を身につけることは、必要とされる内容がかなりの程度、抽象度が高い(仕事の内容はタイの開発計画に関することです)ので、短期間にはできないことはほとんど明らかだったため、最初からほぼあきらめていました。

家内の方は、家庭教師やスクールで少しずつタイ語を覚えていきました。今でも、私よりはタイ語を覚えているのではないかと思います。子供たちは日本人学校(当時、小中学校あわせて2000人近くの生徒がいるマンモス校です)に通っていましたが、週に何回かはタイ語の授業がありました。これはタイ政府の方針で、外国人向けの学校でも最小限のタイ語を教えることは必須とされていました。今どのくらい子供たちがタイ語を覚えているか分かりませんが、短い滞在期間と低い学習密度、また実際に使う機会があまりない(子供たちだけで外に遊びに行くことはほとんどしない)こともあり、定着率も低いのではないかと思います。

私はこのようにタイ語は全然ダメだったのですが、日本人のなかでもきちんと目的意識を持って勉強してかなりのレベルのタイ語を身につけている人が結構いるのも事実です。こうした人たちは、もちろんタイ語ができない人たちよりもいろいろな面でエンジョイできたと思います。私はそれをやろうとしなかったしできなかったのは残念といえば残念ですが、まあ考え方次第だと思います。

外国語の学習という観点からは、目的意識ときちんとした方法論がないと、たとえ外国語に取りまかれている環境にいても、身につけることはできないという良い例だと思います。

(続く)
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2008年01月27日

Vita lingualis 12. タイ勤務(赴任前)

また部署が変わり、今度は外国ともほとんど関係がないところに異動になりました。こうなると、外国語を使わないし、あえて勉強をしようということにもなりません。目の前の仕事も忙しくなってくるし、家族のために使う時間も増えてきます。

しばらくして、また人事の打診がありました。タイにJICA(国際協力事業団(当時、現在は国際協力機構、ただし英語略称は変わらず))の専門家として派遣するというものです。こうした専門家は、相手国の主として政府機関で働き技術協力を行うものです。

前にも書いた通り、人事は基本的に拒否しない(とはいえ、家内には一応相談した)ので早速、赴任の準備を進めることになりました。今度はチリ勤務の時と違い、家族も増えているのでいろいろな準備(国内の後始末も含めて)が大変です。

専門家の赴任に当たっても、事前の研修があります。これも、語学研修と業務研修に大別されます。語学研修についていえば、英語と現地語があります。英語は私の場合は免除されていたので、タイ語を勉強することになりました。

タイ語を勉強したのは確か5〜6人くらいだったと思います。先生はタイ文学の研究では第一人者と言われている方でした。他の言葉の時もそうなのですが、今から考えるとメジャーな言語以外では本気になって学習する人は多くないということもあり、実はすばらしい指導者に当たることもまれではありません。教わるほうは、それを生かせるかどうかということで、うまくいかない場合は忸怩としたものがあります。

残念ながら、私のタイ語は上達しませんでした。この理由はいろいろ考えられます。例えばモチベーションで考えると、実はタイ語が絶対的に必要かというとそうでないこともあります。仕事では英語で進められますし(タイに限らず、発展途上国ではかなりの割合で上級の公務員は英語で仕事ができます)、バンコクには日本人向けのサービスがいろいろあります。例えば、大きな病院では日本語の通訳や日本語のできる医者がいます。

それ以外の面でも、例えば学習の密度はスペイン語を学習したときの比ではありません。少ないクラスの時間も、私は通常業務との関係で行けなかったことがありました。タイ語のクラスは家内も受けていましたが、出席率は私より良かったはずです。このため、おそらくタイ語は家内の方が良くできたでしょう。

実はスペイン語のときと同じように、自分でも何かしなくてはいけないと思い、米国外交官研修所(FSI)作成のThai Basic Course (スペイン語のところで出てきた「基礎スペイン語会話」のもととなったSpanish Basic Courseと同じ考え方で作られたものです)を購入して、細々と練習はしました。それでも、あまり上達しませんでした。このコースは、ずっとタイ文字は使わず音声だけで通しているため、読むことには役に立ちません。もちろん、最初は活用できる表現を音声で覚えていくことが重要なのは分かるのですが、それでも「読む」ということで分かることを広げていくことができないのはつらい感じがしました。とはいえ、クラスではちゃんと文字の練習をしていたので、それができなかったのは単なる私の言い訳ということになるでしょう。

(続く)
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2008年01月26日

Vita lingualis 11. 日本に戻って

日本に戻ってくると、また通常業務の毎日です。スペイン語を使うこともまったくなく、また、レベルを維持しようという努力もしませんでした。英語についても、仕事で使うことは文書を読んだりすること以外には使う機会はありませんでした。年に1〜2回、外国人に日本の経済などについて説明をするということがある程度でした。

そのうち働く部署が変わり、外国との研究交流を担当することになりました。いろいろな国(先進国だけでなく発展途上国や市場経済移行国)の研究者を招聘して共同研究をしたり、セミナーを実施して議論をしたりという仕事をしました。それに加えて、自分でも研究成果をとりまとめたりしました。

今でも思い出すのは、15年ほど前にベトナムで現地の政府機関と共催でシンポジウムを開催したことです。上司から言われて、相手といろいろな交渉もしなければならないということで、まだ市場経済化が始まったばかりのベトナムに行きました。まあ、なかなか大変だったのですが、最後は何とかまとめて無事に開催することができました。

こうした仕事をするときは、通訳を通してやることもありますが、基本的な作業言語は英語になります。相手もネイティブスピーカーではありませんから、そんなにうまい人ばかりとは限りません(それでも、例えばベトナムでシンポジウムを開催したときのベトナム語-英語の同時通訳をしていた人たちは、まあ、プロだから当然といえば当然ですがとても上手でした)が、それでも、何とか仕事を進めるという意志が両者にあれば、進むものだということが分かってきました。

こうした経験は、狭い意味での英語の実力にはあまり寄与していないかもしれません。それでも、何とか話を進めるために英語をどのように使ったら良いかということの練習にはなりました。総合的な英語の運用能力という面からは、こうした実践的な練習の場も役に立つものだと思いました。

(続く)
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2008年01月11日

Vita lingualis 10. チリ勤務(赴任後)

実際にチリに赴任するとすぐにスペイン語での生活が始まります。仕事でも難しい話なら通訳をしてもらう職員と一緒ですが、そうでない場合も多くありました。今から思うと一番難しかったのはスペイン語の文章を書くことです。もちろん、多くの場合は手本となるものがあって、それを適宜変えながら書いていきます。四苦八苦して書いても上司にびっしり直されるという経験もずいぶんありました。

当時の上司で大変なスペイン語の達人(総理大臣や皇族といった人たちの通訳が完璧にできるレベル)がいました。人格的にも立派な方でしたが、スペイン語がこのレベルになっても(いや、このレベルだからと言うべきかもしれません)大変な努力を続けていることは敬服しました。ある時、この人の部屋に入っていくと、びっしり書き込みをしたノートに新しいスペイン語の言い回しを書き込んでいました。こうしたことが習慣化していないと外国語の運用能力を高めることはできないなと感じたものです。

生活レベルでのスペイン語は研修の成果もあってか、それほど苦労をしたという気はしません。大変だったのは妻の方で、まったくスペイン語の練習もできなかった(赴任の直前に結婚したため)ので、突然スペイン語の環境に放り込まれることになりました。ずいぶん心細かったのではないかと思います。妻は家庭教師を頼んでスペイン語の学習を始めましたが、いかんせん日本語での説明がない(日本語ができない家庭教師だった)ので最初は四苦八苦の感じでした。ただ、持っていった「基礎スペイン語会話」は説明が日本語であるし、練習量も多いので、自習には役立ったと思います。

私はスペイン語の練習は基本的には「基礎スペイン語会話」の復習が主でした。その他には、サンチャゴにある国連ラテンアメリカ・カリブ経済委員会(英語略称ECLAC、西語略称CEPAL)で、国連職員、外交団向けのスペイン語のコースがあったので、週1回か2回、昼休みに行って練習しました。このコースもパタンプラクティスが主な手段でしたが、クラスでの会話なども楽しいものでした。いろいろな国からの生徒がいたので、どんな訛りになるかを聞くのも面白いと思いました。

(続く)
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2008年01月10日

Vita lingualis 9. チリ勤務(赴任前)

在外研修が終わり日本に戻ってきて、毎日の業務に忙殺される日々が続きました。英語を使う機会は、文書を読むことがほとんどでしたが、海外出張にも出るようになりました。まだまだ補助的な仕事でしたが、それでも英語を実際に使う機会があることはうれしかったものです。

そうこうしているうちに、人事から在チリ日本大使館での勤務(出向)の打診がありました。チリにポストがあることは知っていましたが、前任者の年次からしてまだ早いかなと思っていました。私は基本的には人事は拒否しないので、受けることにして準備に取りかかることとなりました。赴任までは約半年でした。

外務省以外の省庁から大使館に赴任する人間に対しては、赴任前に研修があります。その内、半分が語学研修で、残り半分が業務に関する研修です。語学研修は、任地の公用語、あるいはそれがマイナーな言語だった場合は英語を学習することになります。スペイン語圏に勤務する者はスペイン語を勉強することになります。

研修のスケジュールがどの位だったか詳細は覚えていませんが、毎日午前中3時間程度を使っていたような気がします。研修期間全体は5カ月くらいだったと思いますが、本当に集中的にやったのは最初の3カ月くらいでした。ネイティブスピーカー3人と日本人1人の講師によりまったくの初歩から始めました。市販や特製のテキストを使って、発音、文法、読解、会話と一通りやりました。学校を卒業して以来、こんなに集中的に一つのことを勉強したことはありませんでした。

私はこれに加えて「基礎スペイン語会話」というテープ付きの教材(結構な値段がした)を購入して家で練習したり、通勤電車の中で聞いていたりしました。この教材については本ブログで既に書いていますが、もともとは1960年代初頭(!) にアメリカ国務省外交官研修所が作成したコースを日本向けにしたものです。ラテンアメリカのスペイン語を対象にした教材は当時少なかったし、大量の音声を使った練習を含む教材は(おそらく英語でも)少なかった訳ですが、この教材は二つの条件を満たしていたので清水の舞台から飛び下りる気持ちで買ったのでした。

この教材を買って勉強したことは大正解でした。詳しいことは本ブログの該当記事をご覧いただきたいのですが、結果的にあまり日本語を意識せずにスペイン語を聞き、話すということができるようになったと思います。

研修の最後には、5分間程度のスペイン語のスピーチ(内容も自分で書く)をするという課題がありました。研修を受けていたのは自分も含めて30代、40代の人間でしたが、最終的には全員がきちんとこなすことができるまでになりました。外国語を学ぶのに年齢は関係ないということを示す例だと思っています。ただ必要なのは、外国語を学ぶためのモチベーション、やり通そうとする意志、ある程度集中した努力、間違いのない方法論などです。

(続く)
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2008年01月09日

Vita lingualis 8. 在外研修(渡航後)

数校から合格をもらい、ようやくアメリカに向け出発しました。海外に出るのは人生初めてで結構緊張しました。9月に大学院での授業が始まる前には、経済学部やビジネススクールで学ぶ予定の留学生向けサマースクールに行きました。サマースクールで学ぶ留学生は英語力向上と、大学院で学ぶ科目(主として経済学関係)の基礎的知識取得を目的としています。私にとっては経済学を体系的に学ぶのは初めてで、しかもその後は実際に大学院レベルで勉強しなければならないということで、割合まじめにやりました。これはその後、大変役に立ったと思います。一方で英語力そのものについては大きな変化はなく(事前のテストの結果で英語のクラスは免除されていた)、ただし、英語を使う際の背景知識(専門的なものも日常的なものも)については、やはり「現地にいる」ということで入ってくる情報量が日本にいる時とは格段に違うため、かなり強化されたように思います。

サマースクールが終わり、本番の大学院となると今度は授業の内容についていくことが大変になります。なるべく余裕を持ったスケジュールにすることをこころがけていましたが、それでもアサインメントをこなすが大変でした。こうした中で英語そのものの力を増すことは二の次になった感じがあります。外国人学生向けの英語のコースなどもあったはずだし、その気になればいくらでも練習はできたわけですが、「もういいや」という気持ちだったのかもしれません。

英語に関するもう一つの経験として、ロサンゼルスにいた叔母の英語があります。もう30年以上英語の環境にいるはずですが、これがまったくのブロークンというか、少し難しい話となるとほぼ全滅という状態で、子供からも「もっと英語を勉強しなさい」と言われているということでした。ただし、時々しゃべる短いフレーズの発音やリズムはとてもうまく、これは耳から入ったものを上手に再現しているなと感じました。

この経験からして、私は「留学などで現地に行けば外国語はすぐにうまくなる」ということはまったく間違いであると信じるようになりました。理に適った方法論、そして実際に練習を続けるという努力がなければ外国語が話されている環境にいたとしても習得することは困難だし、反対に日本にいても外国語を修得することは十分可能なのです。大事なのはでたらめな方法論を見分ける能力とはっきりした目的意識、そして実際にやろうとする意志です。

(続く)
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2008年01月08日

Vita lingualis 7. 在外研修(渡航前)

さしたる現実的なニーズがないにもかかわらず英語の練習を続けていた理由の一つに、在外研修(留学)の制度があります。長期(2年)にわたり、外国の大学院に入学して外国語の運用能力とより高度な知識を取得させるというのがその趣旨です。内部での選考がありますが、主として外国語についての試験が重点を占めていました。選抜プロセスはかなり長期にわたりおこなわれましたが、私は運良くパスすることができました。

その後は大学院入学のために必要な手続きに忙殺されることになりました。これらは基本的に組織としてのサポートは少なく、個人的に対応することになっていました。大学院の入学許可が出ないと研修自体がなくなるので、かなり必死になってやりました。入学願書の取り寄せ、記入、推薦状の依頼等の他、アメリカの大学だったので必要とされているテスト(TOEFL, GRE, GMAT(ビジネススクールにも願書を出したため))も受験する必要がありました。これらの試験についてはとりあえず問題集を買って準備はしました。どれだけ点数に寄与したかはわかりませんが、テストの形式に慣れる程度の効果はあったような気がします。

(続く)
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2008年01月07日

Vita lingualis 6. 就職後

大学を卒業して公務員となりました。仕事は一般的な事務となるので少なくとも外国語を日常的に勉強するという機会はなくなりました。一方で、仕事のために英語を使うことも、基本的には文書を読むというレベルですが必要になってきました。

研修の一環として英会話学校に通わされました。一カ月程度、午前中を使って会話の練習をしました。考えてみると外国人と面と向かってかなりの期間会話をするというのはこれが生まれて始めての経験でした。同期の人間と一緒に授業を受けましたが、段々仕事が忙しくなってくると出てこられなくなるのもいました。私は割合出席率はよかった方だと思います。

二年目に入るといよいよ仕事も忙しくなってきました。もう研修も何もありません。これではいけないと思い、英語スクールに行くことにしました。夜は時間が取れる見込みはまったくないため、朝、出勤前に職場近くのスクールに行くことにしました。確か1回40〜50分で週2回くらいだったと思います。このスクールはかなり前に撤退してしまったこともあり、どのような内容だったのか覚えていませんし、その後の私の英語力にどの程度の寄与があったかも検証不可能です。ただ、週2回程度でも英語の練習があったこと(結局このスクールには3年くらい通いました)は、学習のモチベーションの維持に少しは役立っていたかもしれません。

(続く)
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2008年01月06日

Vita lingualis 5. 大学

大学は理科系の学部に進んだので外国語を学ぶという機会は教養学部時代の第2外国語と第1外国語の英語の授業ということになります。私はその他には外国語関係で主だった活動(例えばESSに所属するといった)はしませんでした。

第2外国語としてはフランス語を選択しました。特にフランス語を選んだ理由はありません。理系ということもあるのか、フランス語の選択者は少数派でドイツ語が多数派でした。たまたまクラスの担任かつフランス語の担当になったのは有名な先生で、今から考えるとずいぶんもったいないことです。フランス語の授業はおそらく標準的なもので、発音の基礎(つづりと発音の関係を含む)から始めて、一通りの文法事項を学習していくものでした。ただ、発音に関してはわりあい丁寧にやっていた覚えがあります。2年生になれば読解となりました。私がどの程度フランス語を勉強したかといえば、1年生の頃はまだ割合まじめにやっていたと思います。動詞の活用なども結構気合を入れて覚えました。でも結局はあまりものにはなりませんでした。

ただ、専門に進んでからは、フランス語の文献や論文も読まなければならないようになりました。といってもほとんどが数式で埋まっているようなものですから文学作品を読むのとは訳が違います。それでも、外国語の勉強そのものではなく、外国語を「使って」何かするということが視野に入り始めたのが大学生の時期でした。

教養学部での英語の授業についてはあまり記憶もありません。おそらくごく普通の英語の授業だったのだと思います。一方で、教科書や論文で英語のものを使うことも増えてきました。英語を「使う」ということが徐々に現実的なものになってきたことになります。一方で、英語そのものの力はどれだけ上がったのか疑問です。

(続く)
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2008年01月05日

Vita lingualis 4. 高校

私が通ったのは公立の一般的な進学校でした。だから英語の授業もそれなりにレベルは高かったのではないかと思います。第二外国語でフランス語やドイツ語の授業もありましたが、やっている生徒はごく少数でした。

私は理科系に進むつもりだったので、文科系進学者に比べれば英語に当てる時間の割合は少なかったと思います。

授業は特別なものではなく、普通の教科書を使ったものでした。何人かの先生に教わったのですが、人格的にも教える技術も優れた先生がいました。ある先生は高校英語教育界では有名だった人で、授業もいろいろな工夫をしていました。例えば、授業の最初の5分間くらいを使って必ず行う豆テストなど、今から考えても大変なことだったと思います。私は理科系進学だったので、英語だけを特別やるということはなかったのですが、同級生の中には、先生の授業に感銘を受けてその後、大学の英文科を卒業し、高校の英語教師になったのもいます。彼は先生と同じように豆テストをやっていると聞きました。

高校での英語学習は当然、大学進学を目標としています。これがその後の私の英語学習と使用の中でどのように役立ったか評価は難しいのですが、中学校の読み物のところで述べたようなベースを厚くする、あるいは根を伸ばすという効果は十分あったと思います。特に文章の構造をきちんとおさえて内容を把握する訓練はどんな外国語においても重要なことだと考えます。高校時代は授業や受験準備以外は英語を学習した記憶はありませんし、英語を何かに使うということもありませんでした。それでも今振り返ってみると、私の英語の運用能力のかなりの部分は高校時代の蓄積に負っているのではないかと考えています。その蓄積の過程では優れた先生の指導の効果も大いにあったのです。

(続く)
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2008年01月04日

Vita lingualis 3. 中学校 (3) 読み物

中学時代でもう一つ覚えているのは、大学生に読解を習ったことでした。学年がいつだったのか思い出せないのですが、週に1回、ペンギンブックのイソップ物語を教えてもらいました。中学生のレベルからはかなり高いものだったのではないかと思います。実際、分からないところだらけだった記憶があります。それでも読み物については、スピーキングのような即時性は要求されないので、少し背伸びしても時間をかけてトライしてみるのも良いことかもしれません。

外国語を話すときも、読んだものの厚みという根が大きく広がってないと、すぐに倒れてしまう気がします。私の例でいえば、英語とスペイン語を比べると、英語は学校教育の中でそれなりの読み物をこなす訓練をしてきたのに対して、スペイン語ではそうした正規の教育を経ていないため、話すときにはどうしても底の浅さが露呈してしまいます。これはたとえスペイン語の発音がきちんとできていたとしても変わりません。

日本の外国語(特に英語)教育が読解や文法に偏していると批判されることがありますが、必ずしも当たっているとは思いません。文章の構造が異なる外国語を正確に理解する方法論は学ばなければ身につかないのは当然だし、その際に文法の助けを借りることは効率の観点からは自然なことです。その上で発音については基礎的な原則と手本となる良い発音があれば習得は難しくないというのが私の考え方です。

ただ、これにはそれなりの時間と手間はかかります。おそらく学校の授業時間だけでまかなうことは不可能でしょう。だとすれば、授業時間では基本的な知識や学習の方法を示すことに重点を置き、授業外での学習を効率的にできるようにするといった工夫も必要だと思われます。単に授業時間の多寡の議論ではありません。

(続く)
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2008年01月03日

Vita lingualis 3. 中学校 (2) 音声教材

外国語の勉強では音声が重要だということは何となく感じていたのでしょうか、当時としては少し背伸びしたような音声教材を親に買ってもらいました。

まずは、教科書が吹き込まれたレコードです。当時の英語教育ではリスニングやスピーキングはそれほど重視していなかったはずですから、学校の授業のことだけを考えるのだったらここまでやる必要はなかったかもしれません。それでも結構まじめにレコードを使ってリピーティング等をやっていましたし、そんなに難しくないところはほとんど暗記するくらいにはなっていたと思います。

今ある英語学習法でも中学校の英語のテキストを声に出して読み暗記することを勧めているものが結構あります。きちんとした手本となる音声があるという前提で私も賛成する気持ちが強いのは、この時の経験からかもしれません。

もう一つは、英語の発音を解説したレコード(LP1枚)です。誰が著者だったかなどまったく覚えていませんが、英語の音声一つ一つの発音方法を解説し、その音と、その音を含む単語や文章が録音されたものでした。間違いやすい音のペアについても、単語や文章での聞き分けの練習がありました。例えば、Please correct the papers.とPlease collect the papers.とか、You need ears to learn a language.とYou need years to learn a language.とかがあったことを覚えています。この教材はおそらく中学1〜2年の頃に買ったのだと思います。もともと対象としている学習者の層がどのあたりだったのか不明ですが、英語学習の割合早い時期に発音の基礎をある程度集中的に練習できたことはあとあとまで役に立っています。また、発音記号の読み方も理解したため、辞書を使って単語の発音を知ることも容易にできるようになりました。これはあとあとまで役立つ技術となります。この時の経験から、外国語を学ぶときには、なるべく早い時期にその言葉の発音の基礎(どのようなメカニズムで発音されるか)をきちんとやっておくことが大切であると思うようになりました。

(続く)
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2008年01月02日

Vita lingualis 3. 中学校 (1) NHKラジオ講座

中学校は普通の公立校だったので英語の授業はごく普通のものでした。正直に見て、英語は好きだったし成績もそれなりに良かったです。授業以外での英語関係ではいくつか覚えていることがあります。

一つはNHKのラジオ講座です。1年目は基礎英語、2年目は続基礎英語でした。ラジオ講座の放送は、現在は火・木・土は月・水・金の内容の繰り返しとなっていますが、私が聞いていたころは毎日違う内容でした。毎日、再放送も含めて星取表を作って結構まじめに聞いていました。他のことではあまりこのようにきちんと長続きさせることは得意ではなかったので、そういう意味では英語は好きだったのかもしれません。

今から考えてすごいと思うのは、続基礎英語のやり方でした。ベースとなる英語の文章の一部を置き換える練習や、平叙文を疑問文に変換する、しかもそれを口頭で即座に行う(テキストを見ていると間に合わない)といったいわゆるパタンプラクティス中心のものでした。外国語学習におけるパタンプラクティスの功罪にはさまざまな議論があるようですが、少なくとも文法を意識せずに自然に口が動いて発音できるようになるには効果的な練習法だったと思います。私が後に別の外国語を学習する際にも役立つことになります。

(続く)

(注) パタンプラクティスの功罪についての分かりやすい解説が東大の上田博人先生(スペイン語)のサイトにあります。一度ご覧になることをお薦めします。
http://lecture.ecc.u-tokyo.ac.jp/~cueda/kenkyu/manabu/03patan.pdf
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2008年01月01日

Vita lingualis 2. 中学校入学以前

公立の小中学校で過ごしたということから、外国語(この場合は英語)を体系的に学習するという機会は中学校入学後になります。当然、その前に外国語と接する機会は断片的なものでした。

そもそも外国語というものを意識したきっかけは、アメリカ在住の叔母の存在かもしれません。叔母は日系二世の米国人と結婚してロサンゼルスに住んでいました。時々、我が家にもアメリカの食品などを送ってきてくれていました。箱に書かれた説明は家族の誰も分からず、それでも何とか食べていました。

アルファベットは、算数や理科で出てくる単位(kgとかml)などは別として学校の国語の時間で習ったローマ字が最初でしょう。

小学校時代で英語と関係した思い出といえば、どういうきっかけだったか近所で英語を教えている人(日本人)のところにしばらく通って勉強したことです。小学校の5〜6年頃だったと思います。週に1回、1時間くらいだったでしょうか、同級生の子と二人で、中学校1年生の教科書を使っていました。予習や復習といったこともした覚えは全くなく、週に1時間ぐらいですから、まったく身についたという記憶はなく、中学校に入学して本格的に英語の勉強をし始めたときは他の同級生とまったく同じレベルでのスタートでした。

ただ、一つだけ今から考えると良かったと思うのは、この勉強のときには教科書の内容が吹き込まれたレコードを使っていたことです。40年以上前で、まだあまり英語の音声に対する世間一般の関心は少なかったと思われる時期にこのようなやり方をしていたのは珍しいことかもしれません。このことがその後の私の外国語学習にどのような影響を及ぼしたかはわかりませんが、外国語学習において音声が重要であるということはぼんやりとでも考えるようになったかもしれません。

(続く)
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2007年12月31日

Vita lingualis 1. はじめに

私はこれまで外国語をいくつか習ってきました。ある程度使えるようになったものも全くダメだったものもあります。

現在、日本で生活し公務員として働いているので、普段使っている言葉はもちろん日本語です。でも、いろいろな場面で外国語を使うこともあります。英語についてみれば、会議に出る等の機会でそれなりに仕事をこなせる程度にはなっています。

私の外国語の運用能力が現在のものとなるまでには、さまざまなプロセスがあり、他人(学校やその他の場での先生だけでなく、使用した教材の作者なども含めて)から教えてもらうことと、自分で練習したことの相互作用の結果といえます。

これまでの外国語学習の個人的な歴史(失敗も含めて)を振り返ってみることで、外国語学習に関しての私の考え方を明らかにするとともに、特に他人から受けてきた恩を少しでも返せることができたらと思い、記事としてまとめてみることにしました。

もとより、外国語を勉強し始めたのは40年以上前で、記憶も確かではないし、自分のことを書くことにつきまとう問題(自己弁護、美化等の危険)、あるいは反対に重要な寄与があった人を落としている可能性もあります。他の人の参考にはならないと思いますが、よろしかったらおつきあい下さい。

(続く)
posted by 杉田伸樹 at 11:47| Comment(0) | TrackBack(0) | Vita lingualis | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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